『アメリカン・ドリームという悪夢』が面白い

 『アメリカン・ドリームという悪夢』(三交社,1,600円)という本が出版された.副題に『建国神話の偽善と二つの原罪』とあることで分かるようにアメリカの建国以来の偽善性をあばき,マルクスが高く評価した「独立宣言」の欺瞞を徹底的に分析している.著者は藤永茂氏である.同氏は,これまで『アメリカ・インディアン悲史』(朝日選書)や『ロバート・オッペンハイマー』(朝日選書),『「闇の奥」の奥』(三交社)などの優れた本を書かれている.

 同氏は『私の闇の奥』というブログ(http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/)を定期的にほぼ毎週一回のペースでアップデートされておられる.そのブログを丹念に読めば,オバマ米大統領が出現する2008年11月前後に,ある出版社から「アメリカは変わるだろうか?」という主題でのオバマ/アメリカ批判の本を依頼されたことが本書を書く契機であったことが分かる.しかし,2009年の夏に原稿が出来上がった段階で,編集者に見てもらったところ,「会社の方針が変わったので出版は出来ません」という返事であったとのことである.とんでもない出版社である.その前後に同氏は体調を崩されて,週一回のアップデートも休みがちになり,ブログ読者を心配させた.その後,本書が三交社から出版されることになるのをブログ読者が知ることが出来たのは,2010年1月6日付のオバマ大統領のノーベル賞受賞講演を論じた文中であった.

 本書の内容は,以下の5章からなる.(1)オバマ現象,(2)アメリカン・ドリーム,(3)アメリカ史の学び直し,(4)文人たちのアメリカ,(5)ブッシュ,オバマ,そしてアメリカ,である.

 著者は,オバマ黒人大統領の出現が,ブッシュ大統領によってなされたコリン・パウエルとコンディ・ライスの二人の黒人国務長官の抜擢に比較して「そんなにスゴーイことなのか」と問い,そして,「パウエル,ライス,オバマと続く黒人人材のアメリカ権力システムへの組み入れが,闘争の盛り上がりによる黒人の圧力の結果ではなく,白人側からのイニシアティブによる掬い上げと演出の結果である」と指摘する.オバマの「チェンジ」は,結局,ブッシュの「間違い」を正して,それ以前の「アメリカン・ドリーム」を取り戻すことである.しかし,この「アメリカン・ドリーム」あるいは「アメリカという理念」そのものに異議を唱える必要があると著者は主張される.

 さらに,アメリカン・ドリームの発生がインディアン・ジェノサイドと表裏一体であったことを指摘する.英国政府のヨーロッパの貧民に対する「アメリカに行けば自分の土地が持てる」というキャンペーンは,まさにアメリカン・ドリームの原型である.しかし,当時,北米にはインディアンがいた.インディアンを排除することなしにアメリカン・ドリームは達成できなかったのである.このアメリカン・ドリームの歴史の流れは,アメリカは特別な国であるという考え,アメリカの西方領土拡大は神から与えられた「明白なる天命(manifest destiny)」という詭弁,アメリカ流の民主主義を世界に広げていくことがアメリカの使命であるとする自己幻想などに繋がっていく.いわゆるアメリカニズムである.

 アメリカの民主主義を積極的に評価する場合に,よく持ち出されるのがトマス・ジェファーソンの筆になる「独立宣言」(1776年)である.その中では,「すべての人間は平等に創られている」と謳われ,「すべての人間」には「生命、自由、幸福の追求」が不可侵の権利として与えられているとしている.しかし,この「すべての人間」の中には北米インディアンは含まれていなかった.いやむしろインディアンは排除の対象であった.インディアンを排除することによって広大な土地が手に入った.

 北米インディアンの側からみるとアメリカの建国の歴史は欺瞞に満ちている.誇り高いインディアンが,ヨーロッパからの困窮した移民たちにいかに親身になって接したか,そして,いかに悲惨な目にあったかについては本書でも触れられているが,『アメリカ・インディアン悲史』に多くの事例がある.国家レベルの「アメリカン・ドリーム」は一貫している.欲しい土地ができると,原住民を殺すか追っ払って,それを手に入れてきた.著者はブッシュ以前のアメリカの政治もこの延長線上にあると指摘される.ベトナム戦争をはじめとしたイラク戦争,アフガニスタンへの軍事介入もこの延長線上にあり,さらにいえば,いま返還が緊急課題となっている普天間基地が65年前に住民の土地を強奪して作られたことも同じ線上にある.

 著者は,4年間のオバマ・ウォッチングの結果,オバマに対してはっきりネガティブな見解を持つにいたったと明言されている.そして,今ではオバマの「チェンジ」が「ノー・チェンジ」であったことは様々なとことで露呈してきている.堤未果著『ルポ貧困大国アメリカII』(岩波新書)をみれば,アメリカの最近のそのような状況がよく分かる.藤永氏は「覚めれば夢は消える.アメリカは目覚めねばならない.アメリカン・ドリームを追う世界の人々,国々は夢から覚めねばならなぬ.地球とアメリカニズムは両立しない」と警告を発する.そして,オバマの「チェンジ」が,結局,アメリカの支配権力(パワー・エリートたち)の意図した「ノー・チェンジ」であったことに多くのアメリカ国民が気付いたときにはじめて,アメリカ合州国の新しい可能性が始まると著者は語る.


(E.M.)
2010.3.31

時間外労働割増賃金

 2010年4月から、労働基準法が改定され、時間外労働における割増賃金が増える。従来は、25%増し以上が法律で求められていたが、今度は3段階に分かれる。1ヶ月あたり45時間までは25%増以上で変わりないが、45時間から60時間まででは25%を越えるようにする努力義務が課され、60時間を超える場合は50%増とするというものである。一定の規模以下の会社等では60時間を超えても45-60時間の場合と同じになるのだが、大学では多くが60時間以上では50%以上が法律で求められることになるので、1ヶ月60時間を超える時間外労働が減るであろう。ただそれが、みかけ上減っても、サービス残業が強要されたりするのでは何にもならない。各職場で気をつけるべきことだ。

 45-60時間の場合は努力義務だからしなくてもいいんだと決め込んで、40時間までの場合と同様の割増率で行くのであれば、それは法律の趣旨を汲んでいないと言わざるを得ない。ところが、実際には同じ率で行くところが多いのではないだろうか。45時間というのは、労働基準法で定められている1ヶ月あたりの時間外労働の上限であり、それを越える時間外労働を可能とするには特別時間外労働として労使協定を締結しなくてはならない(労働者過半数代表者が署名しなければ不可能)。それだけ45時間を超えるということは45時間以下と違うのであり、法としては割増率を上げて、45時間以上になるべくならないようにという抑止力を意図しているのであるから、25%以上に設定するのが大いに望ましいところだ。しかしもし財務格付けも優秀なはずの大学で軒並み割増率を上げないということになれば、それは大変残念で、社会的責任を果たしたと言えないのではないかと思う。それで、どうなっていくのかウォッチしていこうと思う。

 教員は裁量労働制が多く、あてはまらない話であろうが、教員以外の職員に気持ちよく働いてもらうためには、45-60時間のところは、ぜひ25%を越える設定をしてもらいたいものである。

 なお、細かくは労働時間帯その他によって少し話が変わることがあるので御注意いただきたい。

(Y.S.)
(2010/03/31)

宝の海を取り戻せ ー諫早干拓と有明海の未来ー

松橋隆司著 新日本出版社、 2008年、 1600円+税

 この本は、公共事業の無駄の典型といわれる国営事業の1つにあげられる、国営諫早湾干拓事業と、有明海の変遷、沿岸漁民の苦悩について綿密に取材した内容である。副題「諫早湾干拓と有明海の未来」という視点でまとめられ、2008年4月に「宝の海を取り戻せ」と題して出版された。
 本書は、2007年「しんぶん赤旗」に30回の連載でまとめられた内容に、新たな取材を加え大幅に加筆して完成されたものである。序章から4章に加え3氏のインタビューが載せられている。インタビューに応じたのは有明海漁民・市民ネットワーク代表でノリ漁民の松藤文豪氏、長崎大学名誉教授であり開門調査を提言した農水省の第三者委員会のメンバーであった東幹夫氏、「よみがえれ!有明海訴訟」弁護団長の馬奈木昭雄氏の3氏である。
 序章では、「宝の海」と言われた有明海の特徴について、日本最大の干満の差がみられ、最大6メートルにもなること、また濁った海であり浮泥と呼ばれる栄養塩類に富む海水が、プランクトンや底生生物の餌になっていて「宝の海」を支える基盤であることを指摘している。
 有明海のもう1つの特徴は、広大な干潟を持つこと。全国の干潟の40%を占めており、この広大な干潟がアサリやアゲマキなど多様な魚介類の生産を支えてきた。閉め切られた諫早湾の干潟の浄化能力は、「1000億円規模の下水処理場に匹敵する」と発表されている。このような浄化の力は、CODやリン、窒素の負荷量が単位面積当り瀬戸内海の2倍、赤潮・青潮に悩む東京湾に匹敵するにもかかわらず、これまで有明海で赤潮の発生が少なく、「汚染と浄化力」の絶妙なバランスが保たれ、「宝の海」をつくってきたことをあげている。
 つまり有明海にとっての諫早湾の役割が判り易く紹介されている。さらに「宝の海」のであった有明海の漁業生産は、かつて日本一であったこと。また生物の多様性の面でもユニークであり、有明海の特産種が23種、準特産種が40種以上と驚異的であることも特徴としてあげられている。
 第1章では、「沿岸漁民の叫び」として、まず諫早湾を閉め切った「ギロチンの衝撃」について述べている。諫早湾干拓計画は、事業目的が二転三転した歴史的経過があり、いったん打ち切りになった計画を復活させたものである。諫早湾を閉め切った「ギロチンの衝撃」によってそれまで地方の問題であった干拓問題が、全国的に注目されるようになり「全国が注視する公共事業となった」。「年間2000万円稼げた海は」では稼ぎの中心であるタイラギの漁獲量が1989年諫早湾干拓工事開始と同時に激減した。
「地域を潤してきた海の恵み」:小長井漁協の水揚げ出荷額は、潮受け堤防工事が始まる前の1989年では、6億5000億円と近年の4倍もあった。また有明海全体の水揚げ高は2003年で85億円にとどまったが、干拓事業着手時点の1986年には289億円、さらに有明海沿岸のノリ養殖の販売実績は500億円と地域経済を潤してきた。
「湧くようにいた車えび」:諫早湾で湧き出すように獲れていた車えびが干拓事業により減少した。農水省による漁業被害予測では諫早湾内に限られるとしているが、減少は有明海中央部にも広がり、有明町でも獲れなくなった。
「後始末の大きな負担」:諫早湾の閉め切りによって起きた調整池の水質悪化とその後始末としての水質改善が県や諫早市の財政負担も含めた大きな問題となってきた。
 第2章は、「諫早湾干拓事業がまやかしの公共事業」であったことを明らかにしている。
「角栄への贈り物」:有明海の干拓計画は3つあったが、いずれの干拓計画も中止の危機をむかえた。その結果として幾度も諫早干拓の必要性は看板を変え、最後は田中角栄首相(当時)の一声で継続されたいきさつに触れている。農水省は反対漁民に対する殺し文句として、1957年に死者539人を出した諫早大水害の解決をにおわせた洪水対策をあげたが「防災に名を借りたまやかし」であった。
「複式干拓方式は安心・最良か」:地先干拓方式に比べ、「複式干拓方式」は自然改変の規模が大きく、海洋環境や漁業に与える打撃が大きい。潮受け堤防による高潮対策にはなるが、下流域の洪水対策効果は限られる。
「干拓農地のリース配分になぜ固執」:完成した干拓地は、長崎県が農業振興公社に買い取らせ、安い価格でリースにして入植希望者に貸し出すことになった顛末。これまで干拓事業で営農が成功したところはあるのか、という調査と結果が示される。
 第3章は「取り戻せ宝の海」。「借金に追われる漁民たち」では諫早湾閉め切り以降の借金苦による自殺者は、わかっているだけで二十数名にのぼることをつづっている。諫早湾閉め切り後ノリに必要な海水中の栄養塩が赤潮に奪われノリの生育が悪化し品質低下、価格低下した。自殺や廃業する人があとを絶たない。
「進行する海の病状」:諫早湾閉め切り後、有明海の潮流が弱くなり、赤潮が頻発し酸欠の海水やヘドロができるようになった。有明海の濁りが減り栄養分を含む浮泥が減少し「宝の海」ではなくなった。
「有明海漁民の生活の現状と海の実態」:瀕死の有明海の原因究明を避け続けた「有明海の再生事業」。工事受注企業と自民党の癒着実態および長崎県の公共事業依存症の実態を示す。
 第4章は「干拓事業のゆくえ」である。
 「有明海SOS」:諫早干拓事業の「完工式」への漁民達の悲痛な抗議行動に触れている。漁業経営の破たんは漁村の崩壊である。島原市有明町漁協関係者によると、かつて各漁民の漁獲高は1200万~1500万円だったものが300万~400万円になった。船や家のローンもあり、現在は蓄えを取り崩して生活している。有明町漁協の漁民は、「漁業だけで生計を立てらず後継者不足、の現状に深い怒りを感じる」と述べている。
「地元財政を圧迫する調整池」:調整池の水質改善対策費が地元自治体の財政を長期にわたって圧迫することになり、すでに下水道対策などで400億円つぎ込んでいる。しかし、水質はCODで目標の1㍑中5ミリグラムを大きく超え8~10ミリグラムで推移しており10年間改善していない。
「100年返済の公金」:干拓地は県が全額出資する県農業振興公社が51億円で買い取り、45件の農家と企業にリースされた。長崎県では多くの農家が離農する中で、ここ干拓地だけが手厚く支援されるアンバランスが指摘される。
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これまでに干拓によってつくられた土地

インタビュー記事

 松藤文豪氏によると諫早湾閉め切り以降、有明海のノリ漁民は、潮流や流向が変化し、生産量の減少を訴えている。特に生産量の落ち込みがひどいのは、福岡県大牟田市のノリ漁場である。潮流や流向が変化したことで、栄養塩類を含む海水が来なくなり、ノリの質が悪くなり、生産量も減ったと考えている。大牟田地区の単位当たり(小間当たり)のノリ生産額は、ギロチン(鋼鉄板による諫早湾の閉め切り、1997年)前と後で大きく変化した。ギロチン前の平均(93~97年)が102万~109万円に対して、ギロチン後(98~06年)の平均は、59万円にしかならない。この落ち込みをカバーするために、漁期を伸ばし、小間数を増やしているが、追いつかない。一刻も早い開門と調整池の汚濁排水を無くしてもらいたいと訴えている。

 東氏は長年諫早湾の底生生物の調査を続けてきた水域生態学の第一人者であるが、開門調査が有明海再生の出発点であることや、再生への手順と展望について語っている。有明海固有の特産種や准特産種が絶滅の危機にあり、生物多様性の保全の面からも開門調査が求められる。いったん失われた種は再生できないからである。

 馬奈木氏は、裁判の争点について、諫早干拓の公共性が「見せかけのものか、有明海の自然環境と生活環境を守る、真の公共性であるか」の対立であること、また「常時開門」実現の見通しについて詳しく語っている。

 本書は、無駄な公共事業の典型であり、科学技術振興機構がまとめた「失敗百選」にもランクされている。「失敗百選」は、科学技術上の失敗から得られた知識や教訓を広く活用するために公開されている事業である。単なるムダ使いでなく、多くの被害を漁民や市民に及ぼし続ける最悪にランクされる事業である。その問題点を判りやすく、多面的に追及し解決策も示していることから、市民・学生や研究者だけでなく、自治体の公務員や政策立案者等も含め、より多くのヒトに読んでほしいという思いで紹介した。

諫早干拓事業だけで2500億円の巨費をつぎ込みながら、その事業目的のいい加減さと、決定の仕方が実力者のさじ加減で中止が何度も覆され、簡単に復活をくりかえす日本の大型公共事業の決定の後進性をじっくりと学び、今後の事業や政策に生かしてほしいと願っている。

(S.K.)

2010/03/18

定年退職を迎えて

 この3月末日で定年退職を迎える.大学を卒業して,大学院において研究のまねごとを始めてから41年になる.この日を迎えるための,普段からの心の準備をまったく怠っていたこともあり,「もう私が退職する番なの?まだ心の準備が出来ていないのですが...」という気持ちが強い.あたふたと退職金や年金の書類を書いて提出したりしても退職の心構えが出来ていないのは,在職中に研究や教育を十分やり尽くしたということが実感として無いからであろう.現に,研究についてまだやり残しがあり,退職のあと2,3年はそのやり残した研究を完成させたいと考えている.
 そのあとは,自分の自由な時間を研究以外のことで大いに楽しみたいと考えている.あと20年は生きる予定にしている.世間一般では退職後の生活を余生と呼んだりするが,この20年は余生ではなく「本生」と考えている.「本生」という言葉は辞書にはないが,余りの人生ではなく,本当の意味の人生という意味で「本生(ほんせい)」である.まる1日(24時間)を自分の喜びのために使える.そして自分の喜びがひとの幸せに繋がるようになることが肝要なのだと思う.
 若い頃からあまり記憶力のよい方でなかったので,記憶力が悪くなったという自覚がない.ただ,椅子から立ち上がった瞬間に何のために立ち上がったのかを忘れていることが時にはある.確かにこのようなことは若いときには無かったように思う.しかし,これは大したことではない.また座り直して元の仕事に戻れば何をしようとしていたのか思い出す.思い出さないときもあるが,そんなときは大したことでは無かったことにしている.体力,特に瞬発力は若い時分に比べて落ちていると感ずるが,持久力はそれほど落ちているつもりはない.知識や知恵は若いときに比べれば随分と付いてきたように思う.時間を上手くコントロールしながら使っていく技も身につけた.これらの記憶力や体力,知力,技を使って大いに「本生」を楽しもうと考えている.
 そして,今回の「もう私の番なの?」という気持ちを持ちながら退職時を迎えるような失敗は繰り返さないようにしたい.これまでのような生き方では,死を迎えるときにも「もう私の死ぬ番なの?まだやりたいことがあるのですが...」ということになるような気がする.20年後に「死神」が迎えに来たときには,「はいはい,これでもうやり残したことはありません.いつでも連れて行って下さい」と言えるほど,この20年を充実したかたちで生き生きと過ごしたいと考えている今日この頃である.

(E.M.)
(2010.3.9)

研究費四苦八苦

 私の研究は個人でする種類のもので、外部資金を獲得する場合も個人での研究となる。今年度は受託研究もあり、これは全体としてはグループで遂行するものではあったが、大学内では事実上私だけが動く種類のものであった。従って、事務作業を含めてすべて自分でしなくてはならない。科研費などは、ある程度シームレスに行っている自分の研究の流れというものがあって、研究費の使い道はあらかじめかなり頭の中にあるものだが、今回の受託研究費については、普段自分がしていることとかなり違うことを依頼され、単年度の研究なのに採否が決まるのが7月になるとのことであった。することといえば授業における実験なので、後期の授業を利用することになるから、それに必要なものを買うことを考えた。ところが、予算が来る前に、全体のプロジェクトが某省に採択された後、研究主体の企業と大学が契約を締結するのに時間がかかり、予算が執行できることになったのは12月だった。事務方からは前倒しで使ってしまうことは困難ということだったし、いつ執行可能になるかわからないため、授業には間に合わず、購入するものを考え直すことにしたのは11月末。授業の役に直接は立たない形で大きな買い物をしたことになる。
 予算の単年度主義がこういうことを引き起こす。こんなスケジュールでしか手続きが進行しないなら、受託研究は最低2年とすべきだ。また、年度末の残高をちょうどゼロにするというのも何とかならないか。年度末にはキャンパス内店舗に1枚1円の封筒や1つ1円のクリップを求めに来る先生方が多い。先日はその店舗で封筒が切れ、ひとつ15円とか23円とかの大型クリップの組合せで残高がちょうどゼロになるようにと電卓を打っては頭をかかえている方が大勢いた。1万円未満の使い残しは認め、大学でそれらをかき集めて、外部資金関係専用のペーパーワークスタッフを雇っていいことになったらいいのだが。

(Y. S.)
(2010/03/04)