美術館めぐり(その5)

5.ルーブル美術館(第1日)続き

ダヴィンチのコーナーを過ぎるとすぐ右側に入り口がある.入ると大きな部屋がある.そこにはたくさんの人がいる.入り口から入った正面の遠くの壁に小さくダヴィンチの「モナリザ」が掲げられているのが見える.その「モナリザ」の前にカメラを構えた大勢の人々がいる(写真19).この部屋には,入り口のほうの壁に,キリストが水をぶどう酒に変えた新約聖書の中の「カナの婚礼」というヴェネローゼの大作があるが,この絵は大きいだけでどうということもない.「モナリザ」は防弾ガラスに護られており(写真20),他の作品とは格別の取り扱いである.この防弾ガラスは,写真を撮るときに光を反射して,邪魔になるのであるが,おおいに意味があるということが2009年8月2日に明らかになっている.

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写真19 たくさんの人々が集まる「モナリザ」が置かれている広い部屋

その日,他の鑑賞者の後ろにいたロシア人女性がカバンの中からティーカップを取りだし,「モナリザ」めがけて投げつけたという.ティーカップは防弾ガラスに当たって砕け,防弾ガラスには少し傷が入ったが,「モナリザ」は無事であった.この女性は警備員に取り押さえられ警察に引き渡されたあとに精神病院へ移送されたという.このような事件があるのであれば,防弾ガラスは仕方のないことであろう.1956年には酸をかけられたことで絵が損傷した事件も起きている.この事件が切っ掛けで防弾ガラスを入れることになったと聞く.

彫刻における人類の為しえた最高傑作は何かという問いに対しては,わたしは「ミロのヴィーナス」とヴァチカンにあるミケランジェロの「ピエタ」像のどちらに軍配をあげてよいのか判断に迷うところがあるが,絵画においては「モナリザ」は間違いなく最高傑作であると思う.「モナリザ」は,ダヴィンチの手によるといわれている20前後の作品の中で,これまで一度もダヴィンチ作を疑われたことのないただ一つの作品である.それだけ素晴らしい作品であるということである.ダヴィンチは,絵画というものは「コーザ・メンターレ(cosa mentale)」(精神的なこと)であるといっている.この「モナリザ」は,ダヴィンチにとってまさに「コーザ・メンターレ」だったのであろう.

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写真20 防弾ガラスの中の「モナリザ」

モナリザの間から出てもとのイタリア絵画の長い回廊風展示室に戻るとすぐに,ラファエロの「聖母子と幼子聖ヨハネ」がある(写真21).この中にも細長い十字の杖を持った幼子聖ヨハネが描かれている.この絵画は日本では,しばしば「美しき女教師」と呼ばれたり,「美しき女庭師」と呼ばれたりする.このあとのほうの呼び方はイタリア語の原題La belle jardinièreから来ていると思うが,よい日本語タイトルとは思えない.描かれている女性は明らかに聖母マリアである.よく見ると絵の中の3名の頭上にはそれぞれ光輪が描かれている.Laは定冠詞the,belleはbeautiful,jardinièreは植木鉢用の飾りである.英語でもjardiniereという単語はあり,この単語の原義(もとの意味)がgardener’s wifeとのことである.ほぼ原義に沿っての和訳が「美しき女庭師」あるいは「美しき庭師の妻」であるが,これではわれわれ日本人には何のことか分からない.「美しき女教師」はますますおかしい.本を持っているから教師とは限らない.本を持つ聖母マリアは,昔からしばしば描かれている.「聖母子と幼子聖ヨハネ」でよいと思う.この絵の中の3名の配置は,ダヴィンチの「岩窟の聖母」の中の配置と同じである.天使がいないだけである.1507年の作品であり,修復を丁寧にやった結果なのか,絵の保存状態もよい.幼子イエスが身体をねじって描かれているのはミケランジェロの影響であるという解説をどこかで読んだ.同じ頃にラファエロは「ひわの聖母」という作品を仕上げている.それら以外にラファエロはたくさんの聖母子を描いており,「大公の聖母」や「小椅子の聖母」など違った味を持つ作品がある.「小椅子の聖母」は,宗教的な呪縛から解き放たれた世俗的な艶めかしさのただよう聖母子を描いている.これらの聖母子像を,今回,フィレンツェの美術館で確認することができた.とくに,「ひわの聖母」は10年にわたる修復により見違えるような絵に変わっていた.基本構図や背景,聖母の服装の彩色などでこの「聖母子と幼子聖ヨハネ」と類似性が高い.面白いことに,幼子イエスと幼子ヨハネの配置は,「聖母子と幼子聖ヨハネ」と「ひわの聖母」では逆になっている.

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写真21 ラファエロ「聖母子と幼子聖ヨハネ」

ルーブル美術館には,「聖母子と幼子聖ヨハネ」以外に数点のラファエロの作品があった.その中で「バルダッサール・カスティリオーネの肖像」は素晴らしい.カスティリオーネはラファエロの友人であり,かつイタリアにおけるルネサンス文学を代表する作家であったという.

ラファエロの作品に「ヴェールの聖母」(The virgin with the Veil)という作品があり,翌日4月12日(月曜日)の午前にその絵の前を通りかかったときそれを模写している人がいた(写真22).他の美術館ではあまり見かけないが,ルーブル美術館ではこの様な模写をしている人が多い.誰でも模写の申請を提出して,許可されれば,最大3ヶ月間,無料で美術館に入場できるということである.椅子やイーゼルなども貸してくれるらしい.模写できる時間帯は,比較的すいているウィーク・デイの午後1時30分までという.模写する人は,若い美術の勉強をしている人だけでなく,写真のように,結構なお年の人も多かった.ルーブル美術館における模写は,かなり昔から行われている.印象派のフロンティアのひとりであるマネも,ルーブル美術館でティッチアーノやラファエロの絵を模写して美術を勉強したという.そこでマネは,模写をしているベルト・モリゾと出会った.それからベルト・モリゾは,「バルコニー」,「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」などマネの絵の中にモデルとしてしばしば登場することになったという.

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写真22 ラファエロの絵の模写をする人

ラファエロのあとは,ティッチアーノやカラヴァッジョの作品を楽しむ.カラヴァッジョの「女占い師」(Buona ventura)は,初期の代表作であり,少し楽しい絵である(写真23).身なりのよい青年が若い娘(おそらくジプシー)に未来を占って貰っているが,娘は青年の指から指輪を抜き取ろうとしている.それを知らない青年は娘をじっと見ている.そのギャップが何とも面白い.今でもどこかでありそうな一情景である.カラヴァッジョには「トランプ詐欺師」という作品もある.今年(2010年)は,カラヴァッジョの没後400年になる.それを記念して,イタリアのローマでは2月20日から6月13日までカラヴァッジョ展が開かれている.重要なカラヴァッジョの絵画は,イタリアのさまざまな美術館からローマのカラヴァッジョ展に出払い「出張中」となっていた.したがって,われわれはその常設美術館でカラヴァッジョを観ることができなかった.しかし,ルーブル美術館ではこの「女占い師」や「聖母の死」などカラヴァッジョの絵画はすべて残っていた.没後400年を記念するカラヴァッジョ展はイタリアあげての催しであるが,ルーブルはイタリアでの催しには冷淡で,イタリアからの要請を断ったという話を聞いた.お陰でわれわれは,ルーブル美術館で「女占い師」を含めて数点のカラヴァッジョを楽しむことができた.カラヴァッジョは,ルネサンス期の偉大な3名(ダヴィンチ,ミケランジェロ,ラファエロ)のあとでは,イタリア最高の画家である.イタリアで没後400年のカラヴァッジョ展に力を入れる気持ちも分からないこともない.

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写真23 カラヴァッジョ「女占い師」

イタリア絵画が終わると,スペイン絵画が続く.ここには,エルグレコ,ムリーリョ,ベラスケス,ゴヤなどの力作が並んでいる.ゴヤの肖像画は数点あった.スペインの画家の中では,ベラスケスがいい.以前に東京・六本木の国立新美術館でベラスケスの「薔薇色の衣裳のマルガリータ王女」を観たことがある.その時,マルガリータ王女のそばに置かれた透明な花ビンの存在感に驚いたことがある.今回も「マルガリータ王女の肖像」が印象に残った(写真24).

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写真24 ベラスケス「マルガリータ王女の肖像」

スペイン絵画の奥にイギリス絵画が展示されている.しかし,量・質ともイタリア絵画やスペイン絵画に比較すると少しさみしい気がする.イギリス絵画のなかでは,ターナーやコンスタブルの風景画が印象に残った.

もうずいぶんたっぷりと絵画を鑑賞して疲れたので,今日はこの程度にしておこう.今日,鑑賞した美術品はルーブル美術館全体の4分の1程度であろうか.ドノン翼は,地階,一階,二階をほぼ見終わった.ドノン翼二階の別の大きな部屋にフランス絵画の大作が集められていたが,その鑑賞は明日にまわそう.シュリー翼は,一階のほんの一部と地階を観たにすぎない.リシュリュー翼の地階から三階とシュリー翼の一階〜三階はまだである.あとは明日一日を空けているので,これらは明日の楽しみにとっておこう.

(2010/8/13, E. M.)