定年退職を迎えて

 この3月末日で定年退職を迎える.大学を卒業して,大学院において研究のまねごとを始めてから41年になる.この日を迎えるための,普段からの心の準備をまったく怠っていたこともあり,「もう私が退職する番なの?まだ心の準備が出来ていないのですが...」という気持ちが強い.あたふたと退職金や年金の書類を書いて提出したりしても退職の心構えが出来ていないのは,在職中に研究や教育を十分やり尽くしたということが実感として無いからであろう.現に,研究についてまだやり残しがあり,退職のあと2,3年はそのやり残した研究を完成させたいと考えている.
 そのあとは,自分の自由な時間を研究以外のことで大いに楽しみたいと考えている.あと20年は生きる予定にしている.世間一般では退職後の生活を余生と呼んだりするが,この20年は余生ではなく「本生」と考えている.「本生」という言葉は辞書にはないが,余りの人生ではなく,本当の意味の人生という意味で「本生(ほんせい)」である.まる1日(24時間)を自分の喜びのために使える.そして自分の喜びがひとの幸せに繋がるようになることが肝要なのだと思う.
 若い頃からあまり記憶力のよい方でなかったので,記憶力が悪くなったという自覚がない.ただ,椅子から立ち上がった瞬間に何のために立ち上がったのかを忘れていることが時にはある.確かにこのようなことは若いときには無かったように思う.しかし,これは大したことではない.また座り直して元の仕事に戻れば何をしようとしていたのか思い出す.思い出さないときもあるが,そんなときは大したことでは無かったことにしている.体力,特に瞬発力は若い時分に比べて落ちていると感ずるが,持久力はそれほど落ちているつもりはない.知識や知恵は若いときに比べれば随分と付いてきたように思う.時間を上手くコントロールしながら使っていく技も身につけた.これらの記憶力や体力,知力,技を使って大いに「本生」を楽しもうと考えている.
 そして,今回の「もう私の番なの?」という気持ちを持ちながら退職時を迎えるような失敗は繰り返さないようにしたい.これまでのような生き方では,死を迎えるときにも「もう私の死ぬ番なの?まだやりたいことがあるのですが...」ということになるような気がする.20年後に「死神」が迎えに来たときには,「はいはい,これでもうやり残したことはありません.いつでも連れて行って下さい」と言えるほど,この20年を充実したかたちで生き生きと過ごしたいと考えている今日この頃である.

(E.M.)
(2010.3.9)