宝の海を取り戻せ ー諫早干拓と有明海の未来ー

松橋隆司著 新日本出版社、 2008年、 1600円+税

 この本は、公共事業の無駄の典型といわれる国営事業の1つにあげられる、国営諫早湾干拓事業と、有明海の変遷、沿岸漁民の苦悩について綿密に取材した内容である。副題「諫早湾干拓と有明海の未来」という視点でまとめられ、2008年4月に「宝の海を取り戻せ」と題して出版された。
 本書は、2007年「しんぶん赤旗」に30回の連載でまとめられた内容に、新たな取材を加え大幅に加筆して完成されたものである。序章から4章に加え3氏のインタビューが載せられている。インタビューに応じたのは有明海漁民・市民ネットワーク代表でノリ漁民の松藤文豪氏、長崎大学名誉教授であり開門調査を提言した農水省の第三者委員会のメンバーであった東幹夫氏、「よみがえれ!有明海訴訟」弁護団長の馬奈木昭雄氏の3氏である。
 序章では、「宝の海」と言われた有明海の特徴について、日本最大の干満の差がみられ、最大6メートルにもなること、また濁った海であり浮泥と呼ばれる栄養塩類に富む海水が、プランクトンや底生生物の餌になっていて「宝の海」を支える基盤であることを指摘している。
 有明海のもう1つの特徴は、広大な干潟を持つこと。全国の干潟の40%を占めており、この広大な干潟がアサリやアゲマキなど多様な魚介類の生産を支えてきた。閉め切られた諫早湾の干潟の浄化能力は、「1000億円規模の下水処理場に匹敵する」と発表されている。このような浄化の力は、CODやリン、窒素の負荷量が単位面積当り瀬戸内海の2倍、赤潮・青潮に悩む東京湾に匹敵するにもかかわらず、これまで有明海で赤潮の発生が少なく、「汚染と浄化力」の絶妙なバランスが保たれ、「宝の海」をつくってきたことをあげている。
 つまり有明海にとっての諫早湾の役割が判り易く紹介されている。さらに「宝の海」のであった有明海の漁業生産は、かつて日本一であったこと。また生物の多様性の面でもユニークであり、有明海の特産種が23種、準特産種が40種以上と驚異的であることも特徴としてあげられている。
 第1章では、「沿岸漁民の叫び」として、まず諫早湾を閉め切った「ギロチンの衝撃」について述べている。諫早湾干拓計画は、事業目的が二転三転した歴史的経過があり、いったん打ち切りになった計画を復活させたものである。諫早湾を閉め切った「ギロチンの衝撃」によってそれまで地方の問題であった干拓問題が、全国的に注目されるようになり「全国が注視する公共事業となった」。「年間2000万円稼げた海は」では稼ぎの中心であるタイラギの漁獲量が1989年諫早湾干拓工事開始と同時に激減した。
「地域を潤してきた海の恵み」:小長井漁協の水揚げ出荷額は、潮受け堤防工事が始まる前の1989年では、6億5000億円と近年の4倍もあった。また有明海全体の水揚げ高は2003年で85億円にとどまったが、干拓事業着手時点の1986年には289億円、さらに有明海沿岸のノリ養殖の販売実績は500億円と地域経済を潤してきた。
「湧くようにいた車えび」:諫早湾で湧き出すように獲れていた車えびが干拓事業により減少した。農水省による漁業被害予測では諫早湾内に限られるとしているが、減少は有明海中央部にも広がり、有明町でも獲れなくなった。
「後始末の大きな負担」:諫早湾の閉め切りによって起きた調整池の水質悪化とその後始末としての水質改善が県や諫早市の財政負担も含めた大きな問題となってきた。
 第2章は、「諫早湾干拓事業がまやかしの公共事業」であったことを明らかにしている。
「角栄への贈り物」:有明海の干拓計画は3つあったが、いずれの干拓計画も中止の危機をむかえた。その結果として幾度も諫早干拓の必要性は看板を変え、最後は田中角栄首相(当時)の一声で継続されたいきさつに触れている。農水省は反対漁民に対する殺し文句として、1957年に死者539人を出した諫早大水害の解決をにおわせた洪水対策をあげたが「防災に名を借りたまやかし」であった。
「複式干拓方式は安心・最良か」:地先干拓方式に比べ、「複式干拓方式」は自然改変の規模が大きく、海洋環境や漁業に与える打撃が大きい。潮受け堤防による高潮対策にはなるが、下流域の洪水対策効果は限られる。
「干拓農地のリース配分になぜ固執」:完成した干拓地は、長崎県が農業振興公社に買い取らせ、安い価格でリースにして入植希望者に貸し出すことになった顛末。これまで干拓事業で営農が成功したところはあるのか、という調査と結果が示される。
 第3章は「取り戻せ宝の海」。「借金に追われる漁民たち」では諫早湾閉め切り以降の借金苦による自殺者は、わかっているだけで二十数名にのぼることをつづっている。諫早湾閉め切り後ノリに必要な海水中の栄養塩が赤潮に奪われノリの生育が悪化し品質低下、価格低下した。自殺や廃業する人があとを絶たない。
「進行する海の病状」:諫早湾閉め切り後、有明海の潮流が弱くなり、赤潮が頻発し酸欠の海水やヘドロができるようになった。有明海の濁りが減り栄養分を含む浮泥が減少し「宝の海」ではなくなった。
「有明海漁民の生活の現状と海の実態」:瀕死の有明海の原因究明を避け続けた「有明海の再生事業」。工事受注企業と自民党の癒着実態および長崎県の公共事業依存症の実態を示す。
 第4章は「干拓事業のゆくえ」である。
 「有明海SOS」:諫早干拓事業の「完工式」への漁民達の悲痛な抗議行動に触れている。漁業経営の破たんは漁村の崩壊である。島原市有明町漁協関係者によると、かつて各漁民の漁獲高は1200万~1500万円だったものが300万~400万円になった。船や家のローンもあり、現在は蓄えを取り崩して生活している。有明町漁協の漁民は、「漁業だけで生計を立てらず後継者不足、の現状に深い怒りを感じる」と述べている。
「地元財政を圧迫する調整池」:調整池の水質改善対策費が地元自治体の財政を長期にわたって圧迫することになり、すでに下水道対策などで400億円つぎ込んでいる。しかし、水質はCODで目標の1㍑中5ミリグラムを大きく超え8~10ミリグラムで推移しており10年間改善していない。
「100年返済の公金」:干拓地は県が全額出資する県農業振興公社が51億円で買い取り、45件の農家と企業にリースされた。長崎県では多くの農家が離農する中で、ここ干拓地だけが手厚く支援されるアンバランスが指摘される。
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これまでに干拓によってつくられた土地

インタビュー記事

 松藤文豪氏によると諫早湾閉め切り以降、有明海のノリ漁民は、潮流や流向が変化し、生産量の減少を訴えている。特に生産量の落ち込みがひどいのは、福岡県大牟田市のノリ漁場である。潮流や流向が変化したことで、栄養塩類を含む海水が来なくなり、ノリの質が悪くなり、生産量も減ったと考えている。大牟田地区の単位当たり(小間当たり)のノリ生産額は、ギロチン(鋼鉄板による諫早湾の閉め切り、1997年)前と後で大きく変化した。ギロチン前の平均(93~97年)が102万~109万円に対して、ギロチン後(98~06年)の平均は、59万円にしかならない。この落ち込みをカバーするために、漁期を伸ばし、小間数を増やしているが、追いつかない。一刻も早い開門と調整池の汚濁排水を無くしてもらいたいと訴えている。

 東氏は長年諫早湾の底生生物の調査を続けてきた水域生態学の第一人者であるが、開門調査が有明海再生の出発点であることや、再生への手順と展望について語っている。有明海固有の特産種や准特産種が絶滅の危機にあり、生物多様性の保全の面からも開門調査が求められる。いったん失われた種は再生できないからである。

 馬奈木氏は、裁判の争点について、諫早干拓の公共性が「見せかけのものか、有明海の自然環境と生活環境を守る、真の公共性であるか」の対立であること、また「常時開門」実現の見通しについて詳しく語っている。

 本書は、無駄な公共事業の典型であり、科学技術振興機構がまとめた「失敗百選」にもランクされている。「失敗百選」は、科学技術上の失敗から得られた知識や教訓を広く活用するために公開されている事業である。単なるムダ使いでなく、多くの被害を漁民や市民に及ぼし続ける最悪にランクされる事業である。その問題点を判りやすく、多面的に追及し解決策も示していることから、市民・学生や研究者だけでなく、自治体の公務員や政策立案者等も含め、より多くのヒトに読んでほしいという思いで紹介した。

諫早干拓事業だけで2500億円の巨費をつぎ込みながら、その事業目的のいい加減さと、決定の仕方が実力者のさじ加減で中止が何度も覆され、簡単に復活をくりかえす日本の大型公共事業の決定の後進性をじっくりと学び、今後の事業や政策に生かしてほしいと願っている。

(S.K.)

2010/03/18