美術館めぐり(その4)

5.ルーブル美術館(第1日)

昨日の夕方来たときには気づかなかったが,ルーブル美術館の中庭の芝生にはマイヨールのブロンズ像が数点あった.マイヨールは,ロダン以降もっとも優れた彫刻家のひとりといわれているが,彫刻をはじめたのは40歳を過ぎてからという.カルーゼル凱旋門をくぐって中央入口へ向かう.

ルーブル美術館のメインの入り口はガラスのピラミッドである.この入り口は荷物検査のためだけのもので,入り口近くで2列に分かれ右の列が小荷物の検査ができる機械のあるほうで,左の列がその機械のないほうである.左の列並んでも荷物の口を大きく開いて係員に見せれば問題なく中に入ることができる.このピラミッドの下がナポレオンホールと呼ばれる広場があり,その広場のまわりにチケット売り場やインフォーメーション・センター,おみやげ屋,レストランなどがある.チケット売り場にかなり長い列ができている(写真9).
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写真9 チケット売り場の長い列

ルーブル美術館はコの字型をしていて,正面奥がシュリー翼,正面に向かって右手がリシュリュー翼,左手がドノン翼と呼ばれている.これらの翼は内部で繋がっているが,ナポレオンホールからは,それぞれ,別の入り口がある.われわれは,チケット売り場の長い列を横目に見てシュリー翼への入り口から入った.シュリー翼への通路の両側にルーブル宮の歴史の展示がある.それを過ぎるとやがてシュリー翼の地下階にたどり着くが,ここには中世(12世紀)のルーブル宮の要塞跡がそのまま残っている(写真10).1985年にスタートしたグラン・ルーブル計画を進める大改修のために敷地内を掘り起こしたところ,800年前の城壁の基礎が発掘されたものという.

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写真10 シュリー翼地下にある中世のルーブル宮の城壁跡

シュリー翼の1階に上がると,古代ギリシャ,エジプト,古代イラン,東方の美術が展示されている.エジプト,古代イラン,東方の美術は大胆にスキップした.

古代ギリシャ美術では,狩りの女神ディアナ像や三美神(The Graces)なども目についたが,やはり,アフロディテ(「ミロのヴィーナス」のこと)は別格である(写真11).美しく気品がある.両手がないのは残念であるが,手がなくても安心して見ることができるのはなぜだろう.物心ついてこのかた美術書でこの姿を見慣れているからなのかも分からないが,むしろ両手があると自然でないような気になる.このままで美しい.よく見ると表面の傷みが激しい.後ろから見ると両肩とも大きく剥離している.それでも,さがって眺めると美しい.均整がとれている.美の極致である.

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写真11 表面の傷みが激しいミロのヴィーナス

このヴィーナス像は,あるフランス海軍提督がトルコ政府から買い上げ,ルイ18世に献上したものという.ルイ18世はルーブル美術館に寄付したので,現在,われわれがルーブル美術館で鑑賞できることになっている.ミロのヴィーナス像がルーブル美術館にあることの物語の後半部は以上の通りであるが,前半部は少し悲しい.この像は,紀元前130年ころに古代ギリシャで「アンティオキアのアレクサンドロス」という名前の彫刻家によって作成されたものである.「アンティオキアのアレクサンドロス」がいつ生まれ,どのような彫刻家であったのかについては,まったく分かっていない.オスマントルコ統治下の1820年にミロス島のある小作農がこの像を見つけ隠し持っていたが,あるときトルコ人の役人に見つかり没収されたという.以上の物語の全体を見聞きすると,やはり,ミロのヴィーナスはギリシャの文化的遺産でありギリシャ人のものであるという気がしてくる.ギリシャ政府が返還請求をすれば,法的にどうなるかは分からないが,私としては,ルーブル美術館はミロのヴィーナスをギリシャに返すべきであると思う.ギリシャは,いま現在,財政危機に陥っていると新聞やネットニュ−スを賑わしている.それが原因してEUだけに限らず世界中が金融危機に巻き込まれ,世界同時株安も進行している.ミロのヴィーナスをギリシャに返還して,ギリシャの美術館に展示すれば,多くの人々が世界各地からこれを見るためにギリシャを訪れるであろう.その観光収入はギリシャの財政危機を癒し,金融危機をいくらかは緩和するのではないか.

間違いなくギリシャの文化的遺産であるミロのヴィーナスをあとにして,ドノン翼の一階に回った.ここには古代ローマから19世紀までのイタリアの彫刻がある.ここでの傑作は,作者不詳の「ボルゲーズの闘士」とミケランジェロの「瀕死の奴隷」(2体)である.「ボルゲーズの闘士」は,いまにも何かを投げ出しそうな姿勢に躍動感がある.「瀕死の奴隷」は未完であるが(写真12),やはり彫刻の第一人者の風格がにじみ出ている.ただ,ミケランジェロが何を表現したくて,このように身をよじり苦しそうな姿の彫像を作成しようとしたのか分からない.宗教的な意味合いがあるらしい.「ダビデ」像は別にして,ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の壁画にしても身体をねじった姿勢が多いように思う.

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写真12 ミケランジェロ「瀕死の奴隷」

ドノン翼を2階に上がった踊り場のところに「サモトラケのニケ」が展示されている.ニケは勝利の女神である.この彫像は,1863年にギリシャのサモトラケ島で当時のフランス領事によって胴体が見いだされた後,羽根の部分の断片がみつかり修復復元され,ルーブル美術館に展示されたという.修復復元はフランスの手で行われたのであろうが,これもギリシャの文化的遺産であることは疑いない.他人の家の裏庭を掘り出した物を,掘り出した人が「これは自分の物である」ということが正当な主張であるとは言いきれまい.紀元前4世紀から2世紀の作品であると推定されている.この古代ギリシャ美術の傑作は,正面に向かって右45度の角度から見ると,いまにも飛び立とうとしているように見える(写真13).日本人はこのサモトラケのニケが大好きで,日本には,様々なところにこのレプリカがあるようだ.福岡の中村学園大学にもそのレプリカがあるという.しかし,どのようにして作成したレプリカであるかは知らない.

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写真13 サモトラケのニケ(右45度の角度から)

サモトラケのニケが展示されている踊り場を右に進路を取り,ドノン翼2階に入ると13世紀から18世紀までのイタリアの絵画が豪華に展示されている.ルーブル美術館にあるイタリア絵画の主なものは,ジョット,フラ・アンジェリコ,フィリッポ・リッピ,ボッティチェリ,ダヴィンチ,ラファエロ,ティッチアーノ,カラヴァッジョなどである.踊り場から入ったすぐの部屋の壁には,ボッティチェリによる2つのフレスコ画が迎えてくれる.「ビーナスと三美神から贈り物を授かる若い婦人」(写真14)と「学芸たちの集いに導かれる青年」である.これらはフィレンツェ郊外のさる名家にあった壁画という.1882年にルーブル美術館がその名家から購入したと美術書にある.壁ごと運ぶことになるので,一枚のキャンバスを運ぶようなわけには行かない.どうやって運んだのか気になるが,いまは先を急ごう.

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写真14 ボッティチェリ「ビーナスと三美神から贈り物を授かる若い婦人」

次の大きめの部屋には,ジョット,フラ・アンジェリコ,フィリッポ・リッピ,ボッティチェリなどの画がある.その部屋を出ると,いよいよ,ダヴィンチ,ラファエロ,ティッチアーノ,カラヴァッジョなどルネサンス期とそれ以降のイタリア絵画が並んだ長い回廊風の展示室である(写真15).天井からは自然光を取り入れているようにみえる.ただ,ここは二階でこの上には三階があるはずと思いながら,それについては深く考えることもなく,手前右にある細長い部屋に入るとダヴィンチの構成によるといわれている「受胎告知」があった.なるほどフィレンツェのウフィッチ美術館にあるダヴィンチの若いときの作品「受胎告知」の構成に似ているところもある.しかし,16センチ×60センチ程度の小さな木版に描かれたもので,画の仕上げも雑でダヴィンチのものと思うことは到底できない.

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写真15 イタリア絵画の至宝が並ぶ展示室

もとの長い回廊風展示室に戻ってしばらく行くと,ダヴィンチの五つの作品が並べられているところに来る(写真16).五つの作品は「バッカス」,「ミラノの貴婦人の肖像」,「岩窟の聖母」,「洗礼者聖ヨハネ」および「聖アンナと聖母子」である.「バッカス」の絵としての仕上がりは少し他のものに比較して落ちるように感じる.ダヴィンチは,「モナリザ」と「洗礼者聖ヨハネ」,「聖アンナと聖母子」を死ぬまで手元に残したという.それだけ気に入っていたということであろう.ほかの画家の作品のなかで見ると,ダヴィンチの作品はやはり別格であることが分かる.絵の上手さとかを超越したところの気品のようなものがにじみ出ている.

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写真16 ダヴィンチ作品のコーナー

にわか勉強であるが,聖アンナは聖母マリアの母親である.また,洗礼者聖ヨハネは,最後の晩餐に出てくるイエス・キリストの弟子ヨハネ(ダヴィンチの「最後の晩餐」ではイエスのすぐ右隣にいる)とは別人である.洗礼者聖ヨハネは,ラテン語でIoannes Baptista,英語でJohn the Baptist,フランス語でJean le Baptiste,イタリア語でGiovanni Battistaと表現される.聖ヨハネの母親はエリザベートで,聖母マリアとは親戚(従姉妹という話もある)であったという.新約聖書(キリスト教)においては,聖ヨハネはイエス・キリストの先駆者であり,イエスを洗礼したとされている.洗礼者聖ヨハネという名前の前置き「洗礼者」は救世主イエス・キリストを洗礼したことから来ている称号である.ダヴィンチの「洗礼者聖ヨハネ」の中では細長い十字の杖を左手に抱えたヨハネが,右手の薬指を天の方を指している.このポーズは,天からの救世主イエス・キリストの到来を予告していると解釈されている.絵画に現れる聖ヨハネは,細長い十字の杖をともなうことが多い.

「岩窟の聖母」(写真17)の中にも幼子イエスとともに幼子聖ヨハネが描かれている.聖母マリアの近くにいる幼子(鑑賞者から見て左側)がイエスと考えるのが自然と思うが,英国のナショナル・ギャラリーにある「岩窟の聖母」(第二作,写真18)では,そちらの幼子に細長い十字の杖を持たせている.英国ナショナル・ギャラリーの「岩窟の聖母」には弟子たち(ミラノのプレーディス兄弟)の手によると考えられている.しかし,ルーブル美術館の絵には,そのような小道具や聖母子の頭上によく描かれる光輪もない.一説では,ルーブル美術館の「岩窟の聖母」は,通常描かれる約束ごとになっている光輪や聖ヨハネのもつ十字架などがないために,依頼主から受け取りも支払いも拒否され,裁判沙汰となった.そのためダヴィンチのもとに残ることになり,当時ミラノを治めていたフランス国王ルイ12世に献上したものという.ダヴィンチの真筆とされている.依頼主の要求通り光輪や十字架を入れて,弟子が仕上げたものが英国ナショナル・ギャラリーのものであるが,ダヴィンチはその仕上げにはまったく関心を示さなかったのであろう.弟子たちは,はじめのダヴィンチの意図とは逆に,聖母マリアの近くにいる幼子に細長い十字の杖を持たせ獣の皮衣を着せてしまった.幼子イエスと幼子聖ヨハネが逆になってしまった.わたしはそう思う.それにともない,英国ナショナル・ギャラリーのものでは,幼子イエスを指さしていたと考えられる天使の右手も絵から消えた.

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写真17 ルーブル美術館の「岩窟の聖母」

通説では,聖母マリアの近くにいる幼子(鑑賞者から見て左側)が聖ヨハネであり,天使の近くの幼子がイエスである.天使の近くの幼子が人差し指と中指を立てた祝福のポーズを取っていることが大きな根拠となっている.キリスト教では,神の使いが祝福のポーズを取るのが普通である.ダヴィンチの若いときの作品「受胎告知」でも天使ガブリエルが処女マリアに対してこのポーズを取っている.また,聖母子像の中で幼子イエスがこのポーズを取っているものがある.聖ヨハネはイエス・キリストの先駆者であり,救世主イエス・キリストの到来を予言したとされる.幼子聖ヨハネが,幼子イエスに対して祝福のポーズをとる資格がないとは言いきれまい.したがって,私の考えでは,聖母マリアの庇護のもとに洗礼を受けて手を合わせているのが幼子イエスということになる.

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写真18 英国ナショナル・ギャラリーの「岩窟の聖母」
(サルヴァスタイル美術館http://www.salvastyle.com/より)

もちろん,どちらが正解であるという答があるわけではない.しかし,このような名画を見て自分がどのように感じるかを確かめながら,鑑賞するのも名画を見る楽しみになるのではないかと思う.依頼主がこのルーブル美術館にある「岩窟の聖母」の受け取りを拒否した最大の理由は,この絵ではどちらが幼子イエスでどちらが幼子聖ヨハネか分からないということであったと私は思う.実際,この絵を観てどちらにも考えることはできる.いまの時点で,キリスト教徒ではない私が,ダヴィンチの意図をあれこれ考えをめぐらすことは自由である.また,それがこの名画をみる楽しみでもある.


(2010/7/27, E. M.)