美術館めぐり(その3)

4.オランジュリー美術館

今日(4月11日)の予定は,オランジュリー美術館とルーブル美術館である.オランジュリー美術館にはモネの8枚の大作「睡蓮」が,楕円形をした2部屋に展示されているという.ルーブル美術館は,もちろん世界最大の美術館のひとつである.ルーブル美術館には明日(月曜日)もまる一日時間を取っている.ルーブル美術館の休館日は火曜日である.オランジュリー美術館の休館日も火曜日であるが,オルセー美術館の休館日は月曜日である.美術館ごとに休館日が異なるのが面白い.しかし,これはきっと来館者の便を考慮した措置であるのだろう.

7時40分に朝食を取りにロビーまで降りていったところ,狭いロビーに数人の日本人の集団が,ランニング姿で張り切っている.聞いてみたところ,今日の8時45分からエトワールの凱旋門を出発しシャンゼリゼ通りを走り,さらにセーヌ川沿いの道を駆け抜けてフルマラソンを走るのだという.頑張ってくださいと激励の挨拶をして朝食に向かった.朝食の部屋はロビーから一階分降りた中庭と同じレベルにあった.そうしてみると,昨日,表通りからそのまま入ってきたロビーはここから数えると2階ということになる.また,われわれの宿泊している部屋は4階ということになる.朝食は完全にコンチネンタルスタイルのものでコーヒーとミルクにパン(クロワッサンとフランスパン,それにジャムとバター)のみであった.しかし,クロワッサンもフランスパンもどちらも美味しかった.家内の話では,隣のテーブルに座って食事していたフランス人は,ミルクの入ったコーヒーにフランスパンを浸しながら食べていた.そのような食べ方をしているようでは,フランスパンの本当の美味しさを知らないのではないかというのが,われわれ二人の一致した意見となった.本当に美味しいフランスパンは,それだけを嚙みしめているとその美味しさが味わえる.その点は,白米もおなじである.はじめは,とても食べきれないと思ったほどのパンの量であったが,おいしくほとんどを食べてしまった.

マラソンのスタートを見ようと8時30分にホテルを出発した.ホテルの近くでは軽くウォームアップのジョギングをしている人がちらほらいる.エトワールの凱旋門まで行くとなんとすでに道路いっぱいになって走っている.もうすでにスタートしていたのだ(後で分かったことであるが,これらの道路いっぱいになって走っていた人々は,スタート地点へ向かっていたのだ.スタート時刻は,実際8時45分で,自己申告の予想タイムの短い人から順にスタートしたとのことである).MARATHON DE PARISと印字されたビニールのポンチョのようなものをかぶって走っている人が多い.身体を冷やさないための工夫であるようだ.その他にきぐるみを着たり,帽子に小さな旗をかかげたり思い思いの姿で走っている.ホテルで出会った人たちは間に合ったのか少し心配になる.時間は8時35分である.しばらくマラソン人の流れを見送って,地下鉄でオランジュリー美術館に最寄りのコンコルド広場駅に向かうことにした.

コンコルド広場の地下鉄駅から地上に出て,シャンゼリゼ通りの方を見て驚いた.8車線ある大通りから何千何万のマラソン人が,道いっぱいに大河を流れる雨後の水のように次から次に流れて来る(写真6).後から知った情報では4万人が走ったという.圧倒されるようなその流れを,美術館訪問のことも忘れて,いくぶん気持ちを高ぶらせてしばらく見入っていた.気持ちを高揚させてくれる一因に音楽があった.十名ほどの集団が笛や太鼓を使いリズムの良い音楽を演奏している.マラソンを見物している人々もそのリズムに乗って身体を動かしている.この音楽集団は,任意の私設のものであるのか,それともパリ市がマラソン大会のために用意したものであるのだろうか.おそらく後者であるのだと思う.別の音楽隊を2,3見つけた.日本の市民マラソン大会ではこのような音楽集団の応援を受けた大会は見たことがない.あらゆる手段を使って参加者も見物人も,大いに楽しもうということなのだろう.日本の大会やさまざまな催し物にも参考になる考え方であるように思われた.


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写真6 パリマラソンの一般参加の人々

しばらくマラソンを見物して,オランジュリー美術館に向かった.オランジュリー美術館の開館時間は9時である.美術館の切符売り場で,4日間のミュージアム・パス(€48)を購入した.この券で4日間は主だった美術館を無料で入場できる.また,エトワールの凱旋門やノートルダム寺院の塔なども無料で登ることが出来るし,ベルサイユ宮殿もただで入場できる.ミュージアム・パスの有り難さはそれだけでなく,チケット購入の長い列に並ぶことなく別のすいた入り口からゆうゆうと入場できることである.ヨーロッパの人は,一般に列に並んで時間をつぶすことに無頓着のように思われる.それを後でイタリアのフィレンツェでいやというほど味わった.パリでも,美術館の当日券を買うための長い列をルーブル美術館やオルセー美術館,ベルサイユ宮殿などでしばしば見た.この長い列をスキップできるだけで有り難い.

オランジュリーという名前は,ここに17世紀ころオレンジなどの柑橘類のための温室があったことから名前がついたということである.開館したばかりということもあり,ほとんど入館者がいない.ゆっくりと館内の美術品を鑑賞することができる.ここでルノワール,セザンヌ,シスレー,モジリアーニなどの絵に出会うことができた.また,初期のピカソの力強い女性裸像も印象的であった.ユトリロやマティスもあったが,あまり印象に残るようなものではなかった.この美術館ではフラッシュを使わなければ,写真を撮るのは自由である.最近購入したオリンパスの一眼レフをMilletのバッグパックから取り出しスイッチを入れたところ,バッテリー切れの赤い表示が点灯している.仕方なくキャノンのコンパクトカメラで気に入った絵画を取ることにする.心を動かれた絵画を何点か写真に収めた(写真7).


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写真7 ルノワール「人形遊びの少女」

この美術館の圧巻は,やはりモネの「睡蓮の間」である.楕円形の2つ部屋に「睡蓮」の大作が4枚ずつ掲げられている.中央には椅子が置かれてあり,その椅子に座って絵をぼんやり眺めていると本当に睡蓮の沼にいるような軽い錯覚を覚える(写真8).「睡蓮の間」の構想は,モネ自身のもので,モネは,1926年に86歳でこの世を去るまでこれらの作品の仕上げに力を尽くしたと館内のビデオルームの映画が解説していた.自ら「睡蓮装飾画」と名付けた壁画作成を思いついたのは1914年のことという.その後,モネは白内障になりながら,何回かの手術により回復した視力で大作に取り組んだ.その大作の展示のためにオランジュリー美術館は,内部を改造して待っていたという.大作「睡蓮」が楕円形をした二つの部屋に一般公開されたのは1927年5月17日のことという.モネの死後,ほぼ半年後のことであった.現在の美術館では,6年間にわたる改造により完成した「睡蓮の間」(2006年完成)は天井からの自然光の取り入れができる.そのおかげで,より自然な状態の中でこれらの作品を鑑賞(体験)することができるようになっている.絵に近づいたり部屋の中央のイスに腰掛けたりして,「睡蓮装飾画」を心ゆくまで鑑賞してから美術館を出た.


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写真8 モネの「睡蓮の間」

オランジュリー美術館を出てきたのは,10時を10分ほど過ぎたときである.外ではセーヌ川沿いの道路で先ほどの音楽団がリズムよく音楽を演奏している.その道路には選手の姿はないが,応援の人垣ができている.間もなくトップと思われる選手が東から現れた.拍手と声援,音楽に力が入る.しばらくして,後続が次々に現れる.また,別のラッパを中心の音楽団が景気をつけている.しかし,リズムをきざむ太鼓がないのが心持ちさみしい.セーヌ川を遊覧船が下って行く.女性のトップ,車イスのトップが現れ,さらに胸のゼッケン番号が4桁の選手が現れはじめた頃になって,ルーブル美術館へ向かうことにした.

(EM/2010/7/14)