希望の国「キューバ共和国」(その1)医療制度について

 1959年にカストロとチェ・ゲバラ率いる革命軍が米国の傀儡・パテイスタ政権を倒して国民のための政府を樹立してから50年が経過した。革命の理念である「人間の尊厳と社会的正義の追求」が50年を経た今も変わることなく生き続けていることは素晴らしい。カストロは「貧困と差別」をなくすためには「医療と教育」が重要であるとして、その充実に取組んだ。医療と教育は全て無償であり、識字率は99.8%で、高学歴の人が多い。

 キューバでは、癌治療から心臓移植まで医療費は無料である。大都市から過疎の山村まで福祉・医療が行き届いており、乳幼児死亡率は米国以下、平均寿命も先進国並みである。キューバの医療制度はWHOから世界のモデルとして高い評価を受けている。医療技術も高く脳外科や心臓移植、骨髄移植などの治療体制も整っている。医師数は1000人当たり6.5人だが、3分の1は途上国や自然災害の被災国への医療援助で国外に出ており、実質1000人当たり4人程度で日本の約2倍である。

 1959年の革命以来、キューバはラテンアメリカやアフリカの貧しい国に対して医師や医療技術者を派遣し、多大な医療援助をしてきた歴史があり2008年の医療対象国は81カ国にものぼる。ベネズエラでは2万人、ボリビアでは1100人のキューバ人医師がそれらの国の隅々まで無料医療活動を行っている。2005年10月のパキスタン北部の大地震では、延べ2400人の医療援助隊が5ヶ月間滞在し104万人を治療した。また、2006年5月のジャワ島中部地震では、135人の医療隊が3ヶ月滞在し、被災者だけでなく10万人の貧しい人々に治療を行い、野外病院で34人の新しい命が生まれている。

 1999年には、ハバナにラテンアメリカ医科大学が開設され、貧しくて進学できないという海外の医学生に奨学金を提供して受け入れ、医者になって祖国に戻り、貧しい地域で医療活動する医師を養成している。2005年に第一期卒業生が誕生した。現在、27カ国から約2万人が在学している。

 ホンジュラス出身のある留学生は、キューバに留学するにあたって周囲の人々から沢山の忠告をうけた。「キューバ人は餓死しているんだぞ」、「キューバでは子供が殺されているんだ」、「街角ごとに人々を弾圧する戦車がある」、「夕方まで働かされて夜勉強するんだ」等など。彼はサトウキビを刈るためのブーツを持参したけれども、もちろん必要はなかった。

 アメリカ発のこの種のデマは世界中にかなり出回っているようであるが、キューバの貧しい国への医療援助活動による平和外交は、米国の包囲網への対抗策としても大きな力を発揮している。例えば、2008年の国連の「キューバ経済封鎖解除決議」に185カ国が賛成し、反対は米国、イスラエル、パラオの3カ国だけであった。また、2009年4月の米州サミット(キューバは排除されている)の会終了後の会見で、オバマ氏は「各国の指導者からキューバの話を聞いて興味深かったのは、数千人のキューバの医師が周辺国に送られ、それら諸国がキューバの医師に深く依存していることだった」と述べたそうである。

革命博物館で出会った若き日のフィデル・カストロ
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革命博物館で出会った若き日のチェ・ゲバラ
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革命以前はアメリカの大富豪とマフィアのリゾート地であったカリブの海
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文献:田中三郎「フィデル・カストロ―世界の無限の悲惨を背負う人」(同時代社,2005)
   吉田太郎 「世界がキューバ医療を手本にするわけ」(築地書館,2007)

(2010/5/13 酒井嘉子)