裁判員制度で初の死刑判決に接して

 横浜地裁で朝山裁判長は,11月16日(火),強盗殺人などの罪に問われた被告に求刑通り死刑判決を言い渡した.裁判員制度で初の死刑判決であった.朝山裁判長は,主文を言い渡した後に「裁判所としては被告に控訴することを勧めたい」と被告に呼びかけたという.このニュースをラジオで聞いて違和感を持った.日本の裁判制度は三審制を取っているが,それらの各段階の審理の結論(=判決)は,その時点でもっとも適切なものとして出されているはずである.上の裁判長の被告に対する呼びかけは,ある意味では,そのことを否定するものである.この判決は適切なものではないので,上告審でもっと適切な判決を出してもらうようにしなさい,と言っているようなものである.その点に違和感を感じたのである.

 しかし,暫くして呼びかけは裁判員の心情を察してのものではないかと考えるようになった.いくら残虐性のあった犯罪であっても,罪の大きさに気付いた被告に死罪を科すことに抵抗を覚えた裁判員が多く,また,その裁判に自ら関わることに大きな心理的な負担があったのかも知れない.そのような裁判員の心情を和らげる目的での裁判長の発言であるなら,裁判長の気持ちは分からないでもない.このことは,しかし,裁判員制度において死刑に関わる裁判は,無理であるということを物語っているように思える.「素人」には死刑判決の責任を取らせることは,無理だということかも知れない.もう一つ言えることは,死刑という刑罰は,やはり,非常に特別なものであるということである.

 もう一つ考えるべきことは,「玄人」である裁判官のみに死刑に関わる裁判を任せておけばよいか,ということである.ひとつは,高い給料を貰っているのだから,死刑判決の責任を取って当然だという意見もあろう.もちろん,「玄人」であるから無謬であるといえないことは自明である.死刑に関わる裁判は慎重審理が求められる.裁判官のみの裁判ではそれが可能であろう.それに比べれば裁判員裁判では余りにも短期間に判決が出される点も考えなければならない.裁判員制度のもとでの死刑のことで考えなければならないことは多い.本年の「日本の科学者」10月号に楠本孝氏(三重短期大,刑法)が「裁判院制度のもとでの死刑」というレビューを書かれている.死刑に関わる裁判員裁判が増えていくことが予想される今の時期に是非読んでおきたいレビューといえる.

(EM, 2010/11/19)