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市民と科学者の対話(その2)

日 時:2022年1月29日(土曜日)13:30−15:00
講 演:「ゲノム編集」を考える
講演者:小早川義尚氏(九州大学名誉教授・生物学)
主 催:日本科学者会議福岡支部
様 式:Zoomによるオンライン開催
参加費:なし
講演ファイル(pdf)

<講演要旨>
 「京都大発のバイオ企業リージョナルフィッシュが17日、ねらった遺伝子を改変するゲノム編集技術を使って肉付きをよくしたマダイを、ゲノム編集食品として国に届け出た。厚生労働省のこの日の会議で、安全性の審査は不要と判断された。ゲノム編集食品の届け出は昨年12月、血圧上昇を抑える効果などがあるとされるGABA(ギャバ)の蓄積量を通常より約5倍高めたトマトに続いて2例目で、動物性食品では初めて(朝日新聞2021年9月17日)」。このニュースにあるように、ゲノム編集技術を利用して作成された作物や養殖魚が私たちの生活の場に入り込んでこようとしている。
 ゲノム編集技術を利用して遺伝子を改変された生物は、その生物以外の外来遺伝子を含まない限り厳密に規制されてきた「遺伝子組換え生物」とは見なされず、従来の交配や人為・自然突然変異を利用してつくられた新品種の作物や養殖魚と変わらないと見なされ、厳密な安全性の評価は無用、表示も必要なしとされることになり、官庁には届出と情報提供が求められるだけという状況になっている。しかし、こうした急速に発達した技術の実用化に不安を抱く声も多い。たとえば、消費者には情報開示に基づいて食品等を選択する権利があるとの考えから、「まずゲノム編集されていないタネにマークを付けよう」ということでOKシードプロジェクトなどの運動も始まっている。
 こうした現状を理解するために、遺伝子操作・ゲノム編集技術の概要を説明し、技術的に抱えている問題点、すでに実社会に取り入れられようとしているゲノム編集作物・養殖魚についての規制等のあり方はこれで良いのかといった問題点について考えたい。


<少し詳しい要旨>
 20世紀の後半、生物科学の研究者は遺伝子の実体であるDNAの二重らせん構造・遺伝子発現のメカニズムを解明し、さらに、遺伝子操作の技術を次々と開発して研究に利用してきた。その技術の特徴は「生物が本来持っていた仕組み、遺伝子の実体であるDNAの切断、組み換え、結合などを利用する」というところにある。その成果は、20世紀後半からのバイオテクノロジーという言葉の誕生に見られるように生物科学研究の急速な進展を支えてきた。当然のことながら、その技術は基礎研究にとどまることはなく、医療(医学)、農水産業(農学・畜産学・水産学)という生物を対象とする実学分野においても医薬品開発・治療、食品生産の場に利用されてきた。

 その過程で、1970年代初頭に遺伝子組換え技術(ある生物にその生物以外に起源を持つ遺伝子DNAを組み込む技術)が開発されたとき、生物科学者はその技術の利用に於いて様々な問題が起こりうることを懸念し、1975年にその技術の利用に当たってのガイドライン・規制の必要性を自らが検討する会議をアシロマ*において開催した。その後、その流れは遺伝子組換え技術に対する各国の法規制・ガイドラインの制定へと繋がって行く。そこでは、遺伝子組換え生物を利用した食品の安全性対しても評価基準が設けられてきた。

 その後も遺伝子操作の技術の開発・精緻化は進み、その最たるものとして現在のゲノム編集技術の進展がある。生物は、特定の細胞で特定の遺伝子を特定の条件下で発現する仕組み(例えば、赤芽球では赤血球に分化する時にヘモグロビン遺伝子を急激に発現させる)を持っている。そこでは、特定のDNA分子の塩基配列を認識する仕組みが必要である。そうした機能の中には、DNA分子の特定の塩基配列を認識しそこでDNAを切断するような酵素(ヌクレアーゼ)の存在も含まれる。そのようなヌクレアーゼを改変・利用することによってゲノム編集、DNAの塩基配列の編集、は行われる。そこでは十分な知識と熟練した技術が要求されてきた。しかし、2020年のノーベル賞を受賞したエマニュエル・シャルパンティエとジェニファー・ダウドナによって開発されたCRISPR-Cas9システム(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats CRISPR-AssociatedProteins 9)は、非常に容易にゲノム編集を様々な生物に於いて利用できるようにした。その技術は生物科学における遺伝子レベルでの研究の場で急速に普及し、改良も進められている。また、当然ことながら作物や家畜・養殖魚の品種開発においても利用が進められている。

 一方で、DNAの塩基配列を決定する技術もこの間急速に進展し、バイオインフォマティクスの進展と伴って、特定の生物のDNAの全ての塩基配列を明らかにすることが可能となってきている。それは、ある生物の全DNAの塩基配列情報を意味するゲノムを研究対象とすることを可能とした。そのゲノム情報を解析し上記の遺伝子操作技術を組み合わせて研究・開発を進める技術として「ゲノム編集」という言葉が使われるようになった。

 このゲノム編集の技術は、医療、農水産業の場に於いて急速に利用されるようになった。そこでは、この技術によって生み出される新品種の作物や家畜・養殖魚をどう扱うか、また、どう規制するかという問題が生じる。日本では厚労省・文部科学省・農水省・環境省等の関連省庁に於いて以下のような指針が決められた。

 そこでは、ゲノム編集技術を応用して作られた食品(水畜産動物・作物)のうち、外来遺伝子が残っておらず、自然界で起こり得るような変異によるものは、自然に起こる突然変異や従来の品種改良で生じる遺伝子の変化の範囲内であるとの考えに基づいてその食品としての安全性は従来の食品と同等と見なされている。そのため、遺伝子組換え食品に課されているような安全性審査は不要とされ、厚労省へは情報の提供と届出が強く求められているだけである。また、ゲノム編集技術を応用して作られた上記のような水畜産動物・作物は、環境省・農水省においてもカルタヘナ法(注2)における「遺伝子組換え生物等」に該当しない生物として扱われることとなっている。さらに、農水省・厚労省においてはゲノム編集作物・畜水産物の「安全性」「有用性」を省庁のホームページ等(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/bio/genomed/index_00012.html、https://www.affrc.maff.go.jp/docs/anzenka/genom_editting.htm)で宣伝し、その利用を推進しようとしている。ただし、医療関連分野においては、対象がヒトとなることもあり、各国ともゲノム編集技術の利用には非常に慎重になっている。

 日本では、現在までに、2020年に、GABA高蓄積トマト(主務官庁:農林水産省)が届出されて以降、2021年にはステロイドグリコアルカロイド低生産性ジャガイモ(主務官庁:文部科学省)、フロリゲン遺伝子をゲノム編集したイネ変異体群(主務官庁:文部科学省)、可食部増量マダイ(E189-E90系統)(主務官庁:農林水産省)、アラニンアミノ酸転移酵素を改変した穂発芽耐性コムギ(主務官庁:文部科学省)、高成長トラフグ(4D-4D系統)(主務官庁:農林水産省)、Euglena gracilis GSL2欠失変異体(GSL2 KO #28株)(主務官庁:経済産業省)が届出られている。この中で、GABA高蓄積トマトと可食部増量マダイ、高成長トラフグは、厚労省にゲノム編集技術応用食品及び添加物の食品衛生上の取扱要領に基づき届出されている。

 その中で、筑波大学発ベンチャーのサナテックシード株式会社が「日本で初めてのゲノム編集応用商品であり、世界で初めてのゲノム編集野菜を販売する企業」と自称して、2020年末にゲノム編集技術を用いて作成した高濃度のGABAを蓄積するトマトを希望者に配布した。そして、2020年12月11日に厚生労働省へゲノム編集技術応用食品としての届出を行い、農林水産省へカルタヘナ法における「遺伝子組換え生物等」に該当しない生物として情報提供書の提出及びゲノム編集飼料としての届出を出し、現在、その栽培キットの販売(https://p-e-s.co.jp/aozora/gardening/lp-tomato)を行っている。

 今回の報告では、こうした状況を理解するために、遺伝子操作・ゲノム編集技術の概要を説明し、技術的に抱えている問題点、すでに実社会に取り入れられようとしているゲノム編集作物・養殖魚についての規制等のあり方はこれで良いのかといった問題点について考えたい。

(注1)アシロマ会議:1975年に米国のアシロマで行われた、遺伝子組換えを研究していた研究者らの呼びかけによって遺伝子工学の安全管理と危険性について討議した会議。 のちに、米国をはじめ各国で、遺伝子組み換え実験の指針を策定する契機となった。
(注2)カルタヘナ法:遺伝子組換え生物等の使用が生物の多様性へ悪影響が及ぶことを防ぐために国際的な枠組みが定められている。日本では、「遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律」(通称「カルタヘナ法」)により、遺伝子組換え生物等の使用に規制措置がとられている。

<報告>
 講演は、この1,2年急速に我々の生活の場に入り込みだしたゲノム編集生物の紹介から始められた。GABA高含有トマト、可食部増量マダイ、高成長トラフグ、更にはジャガイモ、イネ、コムギにもゲノム編集による変異体が作られている。その中で、筑波大学発のベンチャー企業が2020年12月に厚生労働省へゲノム編集技術応用食品としてGABA高含有トマトの届出を行い、また農林水産省へはカルタヘナ法における「遺伝子組換え生物等」に該当しない生物として情報提供書の提出及びゲノム編集飼料としての届出を出し、現在、その栽培キットの販売も行われている。なおこれらの技術開発例の多くが「大学発」ベンチャーの推進によるものであることに注意しておきたい。

 続いて、20世紀後半にDNAの二重らせん構造・遺伝子発現のメカニズムが解明されて以来の遺伝子操作技術、すなわち「DNAの切断、組み換え、結合などを利用する」技術の進展が概説された。とりわけ、1970年代初頭に開発された遺伝子組換え技術(ある生物にその生物以外に起源を持つ遺伝子DNAを組み込む技術)は要注意であること、また、その技術利用に於いて様々な問題発生への懸念が当事者であった研究者の問題提起から広がり、1975年のアシロマ会議とその後の各国の法規制・ガイドラインの制定へと繋がって行ったことが強調された。その上で、現在進展中のゲノム編集技術が概説されたが、中でもゲノム編集を格段に容易にする「CRISPR-Cas9システム」の開発が重要な契機となり、それがDNA塩基配列を決定する技術の急進展と相まって、「ゲノム編集」の時代に入ったという。

 遺伝子操作技術の現状について、遺伝子組み換え動物の作成(ショウジョウバエを例に)、PCRを用いたDNA複製、動物胚に対する遺伝子操作、ゲノム編集技術の基盤となる生物の持つ仕組み、人工ヌクレアーゼによる特定の塩基配列の認識と2本鎖DNAの切断、切断後に起こる修復等と、かなり詳細な説明が重ねられた。

 人工ヌクレアーゼを用いたゲノム編集における技術的問題として、「オフターゲット」問題があり、標的とした塩基配列以外の部分を切断してしまう(オフターゲット)可能性があり、そこで欠失等が起こり、その部分を含む遺伝子が機能しなくなる、若しくは変異することも起こりうるという。更に、オフターゲットが起こったかどうかを厳密に検出することは困難である。この他、ゲノム編集の結果としての作物、食品の取り扱い、各省庁への届け出等の資料も紹介された。

 小早川氏は、「地球上で人類は一万年前ごろから動植物を改変(家畜化・栽培植物化)してきたが、それは人類による生物種の大絶滅とも評されるほどの変遷である」と見た上で、「「ゲノム編集」という言葉自体が不遜ではないか。人間はどこまで他の生物を支配しようとするのか」という言葉で講演を結んだ。

 質疑に移り、〇本来なら公共の場でコントロールされるべきと思われるが、特許化されて良いのか、〇「自然変異と同じ」という言説があるが、オフターゲットの無害性の確証はあるのか、オンターゲットでも問題はないのか、〇遺伝子組み換え微生物の例として、チーズ作りに使用されるキモシンは、子牛の凝乳酵素の遺伝子を大腸菌や酵母で発現させて生産される、〇医療現場において、受精卵を材料にするので大いに問題あり、〇遺伝子レベルの治療について、短期的効果だけの考慮でいいのか、世代を超えての影響はどうか、などの問題が討論された。

 参加者は約26名で、オンライン形式によって、沖縄、鹿児島という遠方からも参加いただけたのはよかったが、市民の方はあまり見当たらなかった。会場からもコメントがあったが、講演題目を含め、もう少しアトラクティブな宣伝が必要だったか、と思われる。

(報告:西垣)