幸福の王国・ブータン(その二)

酒井嘉子



[ブータンの開発と発展] 
 ブータンでは、GNH(Gross National Happiness)思想に基づいた開発計画が進められている。経済発展のために心の豊かさを犠牲にしないという考え方である。例えば、政府は、天然資源を守り、国土の60%を森林として残すことを規定して、徹底的な環境保護、地域文化保護政策をとっており、登山客のための山小屋などの施設も無い。多国籍企業の誘致も受け入れず、大工場も、高層ビルも、デパートも、スーパーマーケットも無い。大量生産・大量消費社会とは無縁でありながら、しかし、心の豊かさを感じさせる国である。三年前に人口調査の際に行った「今、幸せですか」の問いに対して「非常に幸せ」「幸せ」と回答した人が、合計97%であった。

 ブータンの国家財政は、主にインドへの売電による収益と外国からの援助により支えられているが、医療費や教育費の無料化など、ヒマラヤきっての高福祉といわれる社会保障制度を維持している。道路や電気などのインフラ整備も進行中であるが、地形的に村落が散在しているため、電線や電話線を引くには効率が悪く、電話や電気が届かなかった過疎の村に、一挙に携帯電話が普及し、太陽光発電も導入されており、近代化の早さには目を見張るものがある。
標高3300mのポブシカという村に毎年500羽ほどのオグロヅルが飛来する。この村に電気を通すかどうかが検討され、村人たちは鶴が電線にぶつかる危険があるので電気はいらない、と結論を出したそうである。最近、この村でも太陽光発電を使った電化が実現している。

[ブータンと日本人]
 出会った人々はみんな日本人が好きだった。JICA(国際協力機構)や青年海外協力隊としてブータンに多大な貢献をした多くの日本人がいるからである。
 ブータンは長い間インド以外とは鎖国状態であった。日本とブータンの国交関係が樹立したのは1986年。それ以前の1964年に、農業専門家の西岡京治氏が海外技術協力機構から派遣され、遅れていたブータンの農業に、主食である米の品種改良と収量の増産、水田の区画整備、野菜を中心とした換金作物の育成、農業の機械化などを導入し、画期的な進展をもたらした。西岡氏の誠実な人柄と、常にブータン人の立場に立って考える発想は、支持者をどんどん増やしていった。当初は2年間の任期であった西岡氏の滞在は、ブータン側の要請で次々に延長され、1992年に現地で亡くなるまで、28年間におよんだ。1980年には国王よりダショーの称号(貴族・政府高官などに送られる爵位)を授与された。小高い丘の上に西岡チョルテン(仏塔)が建てられ、今も人々の尊敬を集めている。西岡氏の存在は、ブータン人の、日本人一般に対する信頼感を育て、後に続いたJICAや青年海外協力隊の人たちも、その期待を裏切らず、ブータンの人々の間に無数の人の輪を広げていった。
 ブータン政府は、「援助を餌に国の運営にまで関与するような国の援助は受けない」という考えを貫いているが、日本政府及び日本人のブータンへの支援は、この国の目指す「国民総幸福度」の増大に大きな貢献をしており、これこそが我が国が世界に誇れる国際貢献のお手本であると言える。 

参考文献:
1. 平山修一「現代ブータンを知るための60章」明石書店、2005年
2. 今枝由郎「ブータンに魅せられて」岩波新書、2008年
3. 中谷巌「資本主義はなぜ自壊したのか」集英社、2008年
4. 「地球の歩き方」ダイヤモンド社、他

(2011/02/24)