橋下大阪市長の言動に拍手を送っているS君へ(3)

拝啓

 前回の手紙では,日本の根本問題は「1%」と「99%」の矛盾であり,「99%」の幸せのためには,「消費税値上げ」をやめ,大企業や富裕層に適正に課税して,「応能負担の原則」を貫くことが必要であり,橋下氏の「維新の会」が行おうとしていることは,これとは正反対の税制で「1%」のための政治であり,「99%」がますます不幸になる政治なのであることを書きました.

 前回の補足として消費税が「逆累進制」であるということを説明しておきます.累進制というのは,所得の少ない人には低い税率を,高額所得者には高い税率を課す課税方式をいいます.所得税には,この方式が適応されています.前回取り上げた維新の会の「フラットタックス」は,所得税を同じ税率でということで,例えば,年収200万円の人も,年収2000万円の人も同じ税率で課税するということです.このような所得税制は,所得の少ない人にとって過酷な税制であることは明らかです.消費税は,これよりももっとひどい制度になっているのです.年収200万円の人は,年収のほぼ全額を生活費に充てなければ生活できません.したがって,消費税が10%だとすれば,200万円の生活費のうち約18万円の消費税を支払うことになり,割合からいえば年収の9.0%になります.しかし,年収2000万円の人はそのすべてを生活費に当てるわけではありません.仮に年間800万円を消費するとしましょう.その消費税分は約72万円になります.これは年収の3.6%に過ぎません.低所得の人には9%,高所得の人には4%弱の税率になります.このように高額所得者ほど低い税率になる「逆累進制」があるのが消費税なのです.

 さて今回は,教育の問題について橋下氏の「維新の会」が何をしようとしているのか,そしてそれがどのような意味を持っているのか,について考えていきます.「維新八策」の中の1項目に「教育改革」が含まれています.八策のうちの1つが教育ですから,橋下氏が教育問題に大きな関心を持っていることが解ります.その中で言っていることは,「教育委員会制度の廃止」とともに「首長に権限と責任を持たせ」,「バウチャー制度の導入」,「生徒・保護者による学校選択の保障」などです.

 これらは,首長が教育の目標を定め,「学校選択制」を通して学校を競わせようという制度です.「バウチャー制度」というのは,行政が直接責任を持って学校財政を支えるのをやめて,学校は集まった生徒数に応じた「バウチャー(Voucher)」(バウチャーとは,クーポン券のことですが具体的には補助金のこと)を受けとる制度です.教育予算は学校につくのではなく,児童・生徒一人ひとりに対して配られることになるのです.生徒がたくさん集まるところは財政的に豊かになりますが,あまり集まらないところは財政的に大変で運営そのものが厳しくなります.(注1)

 学校教育をこのような競争の場に置くことを最初に主張したのは新自由主義の提唱者であるミルトン・フリードマンです.学校教育も市場原理にさらそうということです.教育は「商品」であり,親や生徒はその「商品」(教育)の「消費者」,学校は「店舗」,教師は「売り子」となり,学校教育が「学校選択の自由」を保障するというかたちで競争の場に置かれることになります.

 バウチャー制度には英国の失敗例があります.英国のサッチャー政権は,1980年代末に「全国統一学力テスト」の実施・公開とともにバウチャー制度の導入をしました.その結果,学校間競争により学校が序列化され,成績のよい学校と悪い学校が出来ました.成績のよい人気校の周辺の不動産価格は高騰し,裕福な家庭の子どもしか人気校には通えなくなり,下層階級の子弟は取り残されることになりました.成績の悪い学校の校長は周囲から責め続けられることに疲れ,そのなり手がいなくなりました.英国では,学校長が採用できないために管理職のいない学校がたくさんあるのです.もっとひどいことは,英国では30年近く,特別措置の必要な生徒の教育を普通学級で行うといういわゆる統合教育を行っていましが,そのような生徒がいたのでは競争に不利になるので養護学校に押しやられることになりました.教育に競争原理を入れることで,学校間の格差をますます広げ,下位校に通わざるを得ない児童・生徒は校長先生もいない,財政的にも貧しい学校で勉強せざるを得ないのです.

 英国での成績のよい学校で行われた教育が,本当によい教育であったのかどうかについての検討も必要です.成績のよい学校で行われる教育は,学力テストによい成績を上げることに費やされることになります.学力テストに高得点を取るための教育は,短時間にいかに正解を出すかという方法を教えることになりがちです.「テスト向けの訓練」を繰り返させる教育では,本当の意味での理解力や物事を深く考える力などは,教育の対象外になりがちです.子どもたちに学習意欲を高めるような質の高い教育が疎かになることが想定されます.

 結局,バウチャー制度は学校間格差を作り出し教育格差を広げ,下位校に通わざるを得ない児童・生徒は取り残されることになります.バウチャー制度は,一方では,お金持ちや私学経営者にとっては都合のよい制度です.お金持ちの多くは,早い段階から子弟を私立学校へ通わせています.子ども一人あたりに予算が配分されるバウチャー制度は,このように早い段階から私学に子どもを通わせている金持ちや私学経営者にとっては,この上ない制度となっているのです.「坊ちゃん」首相であった安倍晋三氏がこの制度にご執心であったのは,そのような理由であろうと思われます.もちろん,私立学校では追加の授業料を集めるのは自由ですので,豊富な資金のもとで学校運営が出来ます.

 学校間格差や学力格差を広げないで「学力世界一」を達成した国があります.フィンランドです.OECDが行った学習到達度調査(PISA)において,フィンランドの子どもたちは2003年と2006年に連続して高学力を示しました.PISAにおいて調査される学力は,「問題を見出し,解決する力」であるといいます.すなわち,これまで何を学んできたかではなく,これから何ができるかをはかろうとしたものであるのです.フィンランドの子どもたちは,そのような「問題解決力」において「学力世界一」を示したのです.因みに,2006年における英国の順位は,順位を大きく下げて14位(科学リテラシー),17位(読解力)24位(数学リテラシー)となっています.それに対して,フィンランドは,1位(科学リテラシー),2位(読解力)2位(数学リテラシー)でした.

 フィンランドでどのような教育が行われているのかを,福田誠治著「格差をなくせば子どもの学力は伸びる」(亜紀書房)から見てみることにします.同書によれば,フィンランドでは,学校間格差がほとんどなく,国全体の学力格差が小さいということが他の国に比較して際だっているそうです.フィンランドでは,義務教育の16才までは,他人と比較するような学力テストはありません.テストや競争で追い立てないで,子どもたちが「自分のために勉強する」という意識を持ち,学ぶことの楽しさや興味・関心をふくらませ,やる気を起こさせる教育がなされているのです.「教える教育」から「学ぶ教育」への転換がなされたのは1990年代の前半であったといいます.同時に教科書検定なども廃止され,ほぼすべての権限を現場に降ろし,国は条件整備と情報提供に徹することになったといいます.この「すべての権限を現場に」という方針が教職員の意識を高めているということです.

 フィンランドがPISAで高得点を挙げている理由に関して,フィンランド国の教育委員会の公式見解では,「すべての教育を無償にしていること」,「総合制で選別をしない基礎教育」,「全体は中央で調整されるが実行は地域でなされるというように,教育行政が支援の立場に立ち,柔軟であること」,「生徒の学習と福祉に対し,個人にあった支援をすること」,「テストと序列づけをなくし,発達の視点に立った生徒評価をすること」,「高い専門性を持ち,自分の考えで行動する教師」などを挙げています.どれも参考になる内容です.学力テストなどで学校間の競争を煽り,学校間格差を作り出すバウチャー制度とは正反対の方向であることがお分かりでしょう.まして,首長が教育目標を設定し,教育を上からの統制で行おうとしている大阪における教育基本条例やその全国版である「維新の会」の「教育改革」によっては,フィンランドにおいて行われ,大きな成果を上げている質の高い教育は出来ないということは明らかでしょう.「維新の会」の「教育改革」では,上からの命令には従順でものを考えない教師は育つかも知れませんが,「高い専門性を持ち,自分の考えで行動する教師」は育たないのではないかと危惧されます.そのようなものを考えない教師に本当の教育が出来るとは思えません.

 S君,今回も最後まで読んでくれて有り難う御座いました.次回は,橋下氏個人の資質について私の思うことを少し述べてこの手紙の締めくくりとします.

(注1)今,大阪市で橋本市長がやろうとしている学校外でも使用できるバウチャー(クーポン券)は変則のもので,一種のばらまきです.これは,ここで説明する「学校選択制」を通してのバウチャー制度とは関係ありません.

敬具

(E.M.)
(2012/4/18)