美術館めぐり(その1)

1.はじめに

 この3月31日に永年勤めてきた大学を退職した.4月からは完全にフリーになったが,研究課題が急になくなるわけでもなく,また,その他の残務整理もあり何かと忙しく過ごしている.退職後,これまでの生活リズムは在職中とあまり変わらない.しかし,せっかく退職により自由な時間が手に入ったのだから在職中には出来なかったようなことをしてみたい.そのような気持ちから少し贅沢な15日間の観光旅行を計画した.4月10日から24日までパリ,フィレンツェ,ミラノの美術館をめぐる旅である.
4泊する予定のパリは初めての訪問となる.パリにはたくさんの美術館があるが,今回はルーブル,オルセー,オランジュリーの三つの美術館にしぼることにした.
 フィレンツェでは6泊予定しているが,1年半前に訪れたときには2泊しかできなくて,いくつかの美術館を大急ぎで回った記憶がある.鑑賞できなかった美術品も多く残っている.今回は時間をかけてこれらを鑑賞したい.今回の旅行中にフィレンツェからボローニャの列車の中で一緒になった,ボローニャ生まれで結婚されてフィレンツェに住んでいる40前後の女性の話では,イタリアの美術遺産のうちの70%はフィレンツェに集中しているということである.実際,フィレンツェは大変魅力的な街である.それに加えてピサやビンチ村も近くにある.ピサは,ローカル列車で1時間の距離である.ビンチ村には,フィレンツェとピサの間にあるエンポリという駅からバスに乗れば30分で行ける.これらを訪問することもフィレンツェ滞在中の計画である.
 ミラノには3泊を予定している.ミラノでの主な目的は,ただ一つに絞った.サンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会にあるレオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」である.「最後の晩餐」は,時間を区切って25人の定員で15分間だけの鑑賞が許される.予約もできるが当日行って空いていれば,どこかの時間帯に入ることができる.9年前にある学会からの帰りにサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会を朝訪れたときには,午後4時からであれば可能ということであったが,ミラノ・マルペンザ空港を当日の夕方に出発予定であったので残念ながらあきらめた.今回は,3泊もあるのだから大丈夫であろう.

2.出発

 出発前日まではあたふたと日常生活を過ごし,旅行の準備もこれまでの退職前の慌ただしい出張のときとあまり変わらない.家内が同行する出張のときと同様に荷物のパッキングは任せきりで,私の着るものとして何が荷物の中にあるかを知らないまま出発することになる.
念のため5時に2個の目覚まし時計をセットしておいたが,もちろん,目覚ましのベルの鳴る前に起きた.e-チケットやホテルの予約確認のプリント,カメラ,その付属品などをいつものMilletのバッグパックに詰めて,家内が準備したバッグ二つを確かめてタクシーを待つ.前夜のうちにタクシーを5時40分に予約しておいた.以前に,タクシー会社に早朝の迎えを前夜に予約したとき,時間になってもなかなか来ないのでタクシー会社に電話したところ,迎え車はすでに行っているとのことであった.普通はタクシーが来れば,タクシーの運転手は玄関のチャイムを鳴らして,到着したことを知らせてくれる.チャイムが鳴らないのでまだ来ないと待っていたのであるが,玄関に行ってみれば確かにタクシーは来ていた.運転手になぜチャイムを鳴らさないのかと聞いた.運転手の説明では,早朝,ある家の出迎えに予約された時間に玄関のチャイムを鳴らしたところ,「他の家族が起きるのでチャイムを鳴らすな.何のために時間を指定したのか」としかられたことがあり,それ以来,早朝はチャイムを鳴らさないことを基本にしているということであった.今回は,到着したらチャイムで連絡をするようにお願いしている.チャイムを待って朝食抜きでタクシーに乗る.福岡空港には6時前に到着した.エグゼクティブ・クラスへのアップグレード待ちは昨日まで待ちのままであった.念のため,チェックインカウンターでアップグレード可能か問い合わせてみたが,本日は残念ながら満席ですということであった.荷物を預けて空港ビルの3階のレストランで朝食を取ることにした.私は和定食,家内は洋定食を注文した.
朝食後,ゲートを通り抜けると搭乗口では,7時10分発の成田行きは最後の人々が搭乗しているところであった.家内の搭乗券がトラブルを起こした.何度入れても改札機の反応がない.聞いてみるとショルダーバッグのホックが磁石になっており,その磁気に搭乗券の磁気記録がかき乱されたようだ.
 成田行き飛行機の搭乗割合は6割といったところである.成田での待合い時間は2時間.退屈することもなくパリ行きJL405便に乗り込んだ.ファ−ストクラス,エグゼクティブクラスの後ろにエグゼクティブエコノミークラスがあり,さらにその後ろにエコノミークラスがある.どのクラスも満席である.アップグレード出来なかったことに納得できた.
 成田11時5分発の予定の日航JL405便は小一時間遅れて離陸したが,ほぼ予定時刻にパリに16時頃に到着するとのことである.今日は西からのジェット気流が普段に比べて弱いのであろう.昨年の6月に成田からヘルシンキに行ったときにも,その時は定刻に離陸したが予定時間の1時間も前に到着したことがあった.ジェット気流の強弱で一時間程度の飛行時間の差ができるのは不思議ではない.
 飛行機は成田から北上しておりすでにロシアの上空を飛んでいる.おおむね雲がかかっているが,時々,雲間からシベリアの大地が見える.一面の雪景色である.飛行ルートマップを参考にすると,この雪景色のシベリア大地はカムチャッカの北端とほぼ同緯度である.北緯60度である.ここでは4月上旬の雪景色は当然だ.時刻は午後2時30分である.平板な地図帳を見慣れている私にとって,この飛行経路は遠回りであるように感じた.あとで地球儀の上で測地線を引いてみて,今回の飛行ルートが成田からパリまでの測地線に沿っていることを確かめることができた.
 ロシアの最北部,ツンドラ地帯を西に飛行を続けている.一面に雪で覆われているが,その下にある凹凸がうかがえて面白い.険しい山肌やまた大きく蛇行する川の跡が見える.北極海に浮かぶフラットな氷の塊も見える.流氷というには,その一つの塊が大きすぎる(写真1).
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写真1 北極海の氷塊
 右手前方にノバヤゼムリヤ島がみえる.この島は旧ソ連時代には約200回の核実験を行ったところである.ウラル山脈の北の端が伸び半島となり,さらにその高まりがノバヤゼムリヤ島に至っている.その高まりがS字のカーブを描いている.こうみるとノバヤゼムリヤ島は,ウラル山脈が作られた地殻変動と時を同じくして作られたものであると想像できる.
 フィンランドを過ぎてスウェーデンの南部辺りに来たところで雪は無くなった.飛行機はデンマークの上空に来た.バルト海から北海にぬける海峡は,青く静かだ.そこに浮かぶデンマークの島や半島は水に浮かべた紙のように見える.上から見ているとデンマークは本当にフラットで山のない国であることがよく分かる(写真2).デンマーク(ユトランド半島)で一番高いところはヒンメルビャー(Himmelbjerg)という丘であるという.実際には,ここより高い(170m程の)ポイントが二,三あるのだが,デンマークでは海抜147mしかないこの丘は「天の山」と呼ばれユトランド半島で一番高い山の象徴のようになっている.ヒンメルビャー丘に比較してほかの高いポイントは,だだっ広いだけで山らしくないということであろう.そのヒンメルビャーに登った日本人の話では,ヒンメルビャーについても「山というより大きな丘という感じでした」ということである.
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写真2 平らなユトランド半島

(2010/6/15, E.M.)