日時:10月25日(土)10:00~(オンライン形式)
報告者:伊佐智子(久留米大学)
題名:「原爆投下及び被曝問題の法律学における扱かわれ方についてー無視と忘却ー」
報告の主旨
本報告では、NHK連続テレビ小説「虎に翼」のなかで原爆裁判が取り上げられたことをきっかけに、報告者自身も初めてその存在を知った。そして、原爆裁判や被爆者の法的扱いについて、法律学では長らく無視・忘却されてきた現実があり、なぜそうなっているのか、その原因を筆者なりに探求したものである。
1.法律学における原爆裁判の忘却
Cinii(国立情報学研究所)論文検索サイト論文検索(2000~2025年)において「原爆裁判、法律」を入力し、ヒット数を見た。すると、関連論文は少なく、行政資料や被爆者団体の記録や出版物が中心であった。筆者自身、長年、法学部関連の研究会や学会への参加に鑑みて、原爆被害や被爆者補償に関する法的研究は非常に限られていると言わざるを得ない。
2.建前の日本国憲法の検閲禁止と、本質のGHQによるプレスコード
さらに、占領期のプレスコードにより、原爆被害の報道や写真掲載が厳しく制限された。CCD(民間検閲局)による徹底した検閲で、原爆の実態が国民に知られにくくなり、被爆者差別の一因となった。
その一つの例が、「原爆の図」巡回展への弾圧である。丸木位里・丸木俊夫妻による「原爆の図」展は、国内外で開催されたが、GHQやCIE(民間情報教育局)の圧力により、展覧会の開催中止や妨害、関係者の逮捕など、表現の自由が制限された実例が多数あった。
3.原爆裁判
原爆裁判については、被爆者5名により1955年に東京と大阪で提訴された。原告は、サンフランシスコ講和条約締結により、国が被爆者の損害賠償請求権を一方的に放棄したことに対して、憲法29条(財産権の保障)及び国家賠償法に基づく補償を求めた。
4. 第五福竜丸事件とその後
1954年の米国による「ブラボー水爆実験」で被曝した漁船員たちの被害は、第五福竜丸事件だけを大々的に取り上げ、同様の被害が他にも多数あったにもかかわらず、長年黙殺されてきた。2016年以降、元船員らが国家賠償を求めて提訴し、高松高裁は被曝を認めたが、国の責任は否定している。
今後は、法学の分野でも原爆と被曝者の問題を正面から捉え、歴史的・法的責任を問い直す必要がある。
(報告者:伊佐智子)


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