(定期大会に引き続いて、本庄春雄氏を講師に迎え、「国際卓越研究大学を問う」と題する支部講演会が開かれた。以下、講師ご自身による報告である。)
———- 講演「国際卓越研究大学を問う」報告 本庄春雄 ———-
[はじめに]
2021年の第6期科学技術基本計画(2021∼2025)で国際卓越研究大学制度(10兆円ファンド)が導入された。目まぐるしく進展する科学技術の世界で日本の産業界が取り残されないようにするため、大規模大学のイノベーションなどの産業に資する成果を活用しようとするのが制度の目的である。制度設計を担当した内閣府総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の常勤上山隆大氏は、我が国の科学技術政策の思想的大転換と表現する。この政策の問題点・危険性を報告したのでその概略を述べる。
[経緯]
CSTIの詳細な会議報告はなされてないが、上山氏の記者会見やインタビューを参考にすると、この制度が設計された経緯は以下のように推測される。(注) 失われた30年と言われるように、国内企業の国際競争力が弱っている。国内の科学技術・イノベーションを盛んにするには大学発のイノベーションや産学官連携が不可欠である。 国立大学は法人化以降の運営費交付金1%削減で体力が弱っている。また、米中韓などが大学を含む科学技術分野への予算を大幅増額している中で日本は微増である。これでは大学の国際競争力・ランキングは上がらない。大学への予算を増やすべきである。そもそも、学問の健全な発展には広い裾野が必要であり、「選択と集中」では上手くいかない。ノーベル賞級の仕事でも、面白いと思って頑張った最初の研究活動を支えたのは基盤的経費の運営費交付金(いわゆる校費)である。自由に使える基盤的経費は重要である。 一方で、予算を増額するには財務省や文科省の了解がいる。金庫番の財務省は大学運営の現状や教員の研究力に満足してないし(注*)、監督官庁の文科省は今以上に大学のガバナンスを強化したいという意向がある。このように、大学への予算を増額するには関連するいくつかのハードルをクリアする必要があった。
落とし所(政治的妥協として)として参考にしたのが、米国の主要な大学は膨大な自前の基金を持っていて、国からの資金援助に大きくは依存しない運営を行なっているということである。結果として、国からの資金援助で25年ぐらいの年月をかけていくつかの大学を自前の基金で運営する大学(運営費交付金ゼロの大学;国際卓越研究大学)に育て、その余った運営費交付金をそれ以外の大学に回す、という国際卓越研究大学制度(10兆円ファンド)が考案された。
[制度設計]
ファンドとして用意される10兆円は一般会計からの1兆円と財政投融資からの9兆円である。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)が国内外の株や債券で運用して(外部委託)、その毎年の運用益3%(3000億円)を6大学(国際卓越研究大学)に毎年500億円ずつ最大25年間ぐらいに渡って資金投入する。各国際卓越研究大学はその原資や独自の事業を展開して毎年3%ぐらいの運用益を得て、25年後には自前のファンド創設を完了して国からの運営費交付金から脱却することになる。昨年度(2023年度)に1大学だけ選定された東北大学の計画では、25年後には1.3兆円規模の基金が創設されることになっている。
[懸念]
制度の懸念として次の3点を述べる。
・財政投融資からの9兆円は借金なので国には返済義務があり、21年目から借入元本返済義務が生じる。会計の専門家によると、最近の話題でもある金利は現時点では未定だが、元本返済額分だけでも年4444億円でありファンドの毎年の運用益3000億円を大幅超過する。結果として、ファンドの3%以上の高運用収益を目指したり、民間金融市場からの資金補填措置が要るだろうし、各大学からの補填も求められるかもしれない。そもそも、大学への投入資金を株や債券で賄うというギャンブル政策は批判されるべきである。
・選定された国際卓越研究大学は将来的には自前の基金をして運用して自立することになるため、その大学では“儲ける訓練”が必要である。実際、この制度への申請条件としては収入年率3%増加の大学事業が計画されていなければならない。選定された東北大学はいくつかのキャンパスに分散されているが、計画では全てのキャンパスがイノベーションの場として創造されるとなっている。工学系などの応用分野によってはイノベーションを意識した研究があるのは当然だが、大学がまるごと「儲け至上主義」となることは認め難い。そもそも、大学は教育・研究の場であって営利目的の企業ではない。もちろん、申請大学の執行部にもその様な理解はあるだろうが、このファンド事業を成就させるためには「儲け至上主義」に奔走しなければもたない、というところにこの事業の本質的危険性がある。
・国際卓越研究大学には過半数の学外者や総長で構成される「合議体」が設置され、中期目標、予算、学長選考などの法人運営に強権的に関与する。法人化以降、役員会や多くの学外者が占める経営協議会などが大学の重要事項を決定して従来の教授会の権限が縮小され、「大学の自治」が危機的状態にあるにもかかわらず、更にそれとは別組織としての「合議体」が大学を牛耳ることになる。
[改正国立大学法人法]
ところが、昨年12月に成立した改正国立大学法人法では、国際卓越研究大学にではなく、7名以上の理事や大きな収入や収入定員の大規模大学(特定国立大学法人)に、文科大臣が承認する外部有識者を含む3名以上の委員と総長で構成される「合議体(運営方針会議)」を設置することになった。さらには、特定国立大学法人以外の大学でも、“希望すれば”「合議体」を設置することが可能となっている(準特定国立大学法人)。驚くべきことに、この様な決定がなされた経緯が不明で、文科省は国会質疑では答弁不能であった。国大協が、極めて異例なことに、国会での法案審議中に声明を発表して懸念を表明したが、当然であろう。
安倍内閣以降、様々な重要政策が各省庁を超えて内閣府主導で行われているが、その決定プロセスが不明瞭で政策決定根拠の合理的説明に欠ける場合が多い。例えば、菅内閣での学術会議任命拒否問題は今だに決着がついておらず、国は責任の所在を曖昧にしようとしている。10兆円ファンド政策や「合議体」設置が、大学本来の姿を豹変させるだけではなく、国や産業界の本来の目的さえも遂行できなかったとき、誰が、どこが、その責任を取るのだろうか。
[結び]
大学の使命は知の創造と継承にある。外部からの干渉を排除した自由な雰囲気の環境で行われる教育・研究活動は、時間と空間を超えた共同・連携作業であり、その意味において、大学は時代、国家、社会体制を超えた人類共有の財産である(世界主義的視点)。一方、大学の設置、運営などが大きく行政、税金などに依存しているのを考慮すると、国家、国内企業、国民などの利益を無視する訳にはいかない(国家主義的視点)。結果として、あれこれの大学政策はこの両者のはざまで決定される。
国の科学技術力が国力の礎となっていて、そのことに大学の研究力が強く関与している。しかしながら、国の強い管理下に置かれて儲け至上主義に奔走させられる大学は、大学本来が持つ自由な空間での教育・研究活動から遠い。
大学における研究活動は多種多様である。イノベーションに繋がる応用分野もあるだろうし、自然科学の様々な分野で真理を追求する基礎科学、哲学や文学などの人文社会系の分野などもある。大学には、その様な研究・教育活動が保証される基盤的経費やスタッフが最低限、必要である。それらに逆行してきた「選択と集中」は明らかに誤りである。大学関係者には、大学の成果や現状を広く社会に公表し、多くの市民の理解を得て共に大学を作っていくことが求められている。
(注) 例えば、「国家の大計としての科学技術政策:大学ファンドに何ができるか?」(日本記者クラブ、上山隆大、2022年3月22日) (注*)この10数年の大学改革を主導してきたのは文科省というよりは財務省という印象である。

