第二次世界大戦終結から80年となる今年、私は偶然にもサバティカル(研究休暇)を取得することができ、6月末から8月半ばまでドイツに研究滞在する機会を得た。現地では終戦80年をテーマとする様々な催しが開催されており、私も研究仲間に誘われ、ポツダムで開催された1945年をテーマとするワークショップに参加するなどした。ロシア・ウクライナ戦争やイスラエルによるガザでのジェノサイドが終息を見せず、さらには極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が台頭する中にあって、この80年をどう総括すべきかという問題意識は、現地で遭遇した議論をはじめ、ドイツ社会の中に全体として渦巻いていたように思う。
80年目の8月6日は、かつての留学先であるザクセン=アンハルト州の都市、ハレで迎えた。訪問先であるハレ市立文書館は市中心部のマルクト広場に面しており、当日夕方には「左翼党(Die Linke)」ハレ支部主催のもと、ヒロシマ・ナガサキへの原子爆弾投下から80年を祈念する行動がおこなわれた。すでに前日からこの情報をSNSで入手していた私は、文書館での仕事を少し早めに切り上げ、いち傍観者として行動を見守ることにした。
ちなみにこの行動は、インターネット上での呼びかけに際して以下の文言を掲げている。「私たちの行動には、右翼急進的、民族主義的、反民主主義的スペクトラムに属する個人(特に役職者)、政党、組織、集団の居場所はありません。同様に、暴力を行使したり、ジャーナリストを攻撃したり、陰謀論を信奉したりする個人や集団、また人種主義、反セム主義、セクシズムなどの集団的敵意を表明する者に対しても、参加を拒否します。」(URL: https://www.dielinke-halle.de/vor-ort/termine/details/hallescher-aktionsaufruf-zum-80-jahrestag-des-abwurfs-der-atombomben-auf-hiroshima-und-nagasaki/)核兵器廃絶のワンイシューで広く浅く参加を呼びかけるのではなく、あくまでマルチイシューを貫くスタイルに、左翼党らしさを感じるとともに、極右襲撃の可能性に身構えたのも事実である。
ただ幸いなことに、行動はきわめて平和的に開催された。原爆の悲惨さと核兵器廃絶を訴える演説のあと、参加者全員に折り鶴が配られ、それを広場に貼り付けたピースマーク型のテープの上に飾りつける行動が始まった。参加者は当初50人程度だったが、通りすがりに興味を持ったり、話を聞いて立ち寄ったりする人が増えていき、最終的には100人を超えていた。老若男女が入り混じり、中には移民の背景をもつと思わしき中東系の青年たちもいた。子どもたちが楽しそうに折り鶴を飾りつけていたのも印象的だった。
折り鶴からピースマークが完成していく様子は、ドローンを操る青年により上空から撮影された。ロシア・ウクライナ戦争では人殺しの道具となっているドローンも、本来はこのような形で活用されるべきだろうと思った。
行動終了後、主催者に「日本から来ました。素晴らしい行動でした」と伝えて握手をしたところ、「今日は重要な日なので行動しました」との言葉が返ってきた。ヒロシマ・ナガサキが世界的にも重要な意味をもつことは当然承知していたものの、「異国での悲劇に想いを寄せ、共通の教訓にしていく」実践を今回目の当たりにすることで、それが決して当たり前のことではなく、無数の人びとの行動によって形づくられた認識であることに思い至った。忘却と歪曲の力学に抗うには、地道な行動こそ不可欠である――8月6日、ハレの路上で得た学びである。
2025/10/20 『 8月6日、ハレの路上にて』今井宏昌
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