日時:2025年3月22日(土)13:30~15:30
話題提供者:西垣 敏
題目:AI化社会を如何に生きるべきか2
概要:今から2年前のJSA福岡支部講演会で講師(私)は、AI化社会をどう生きるか、のテーマを取り上げて問題点、危険性等を論じた。そのときはチャットGPTなる生成AIが世に出て間もない時期で、主要大学や学術誌等はこれに十分な警戒心をもってあたると表明していた。しかしその後の僅か2年間に状況は急激な変化を見せ、人間活動の多くの分野がAI化の大波を被らざるを得ない事態になった。
講師は序論として、AIなる一特定技術に、かくも大きな労力と巨大な資金がかけられる、という異常は、その技術によって引き起こされるかも知れない大転換の主要ターゲットがまさに経済と戦争に向けられたものだからではないか、と述べ、従ってそれが人間を歪めることにつながるので、今回の講演の後半では教育分野におけるAI化の問題に特別注意を払ってみたい、と検討課題を挙げた。
AIは、生成系も含めて、要するに「予測」マシンである。観測データを入力とし、それを変換して、出力データを得るシステムを、膨大な数の未知パラメタを含む人工ニューラルネットワークで組む。未知パラメタの最適化は、大量の訓練データを用いた機械学習として行われる。ここで訓練データは画像、動画、質問文、音楽などで、例えばハイビジョン・カラー画像一枚のデータは約600万次元のベクトルとして表わされる。いわゆる生成AIの一種で、入力された文字データから画像を出力してみせるマシンにおいては、そういう超高次元空間の中のどこかの一点を探しに行く、一層困難なタスクを行う。生成AIに対しては拡散モデルなどが導入されているが、省略した。今特に注目されるのは統計的自然言語処理アルゴリズムとしての大規模言語モデルLLMであろう。LLMはあらゆる単語(正確にはトークン)を高次元空間のベクトルとして埋め込んだものである。LLMは大量の文字データを読み込みながら訓練しており、ベクトル間の演算として単語相互の意味的関係の対応付けを可能にしているように見える。
AI主導のデジタル化は教育の分野でも強引に推し進められている。政府文科省は、子供のいじめや不登校問題、学力向上の課題、先生の働き方等々の、学校に集中する諸問題を、「個別最適化された学び」を旗印に、生徒一人に一デジタル端末の環境整備と、AIを柱にした「インテリジェント教育システム」で切り抜けようとしている。その実験場に経済産業省の「未来の教室」プロジェクトに乗って多くの民間企業が参画している。教育のデジタル化推進は欧米への追随であるが、欧米の国々のなかでは、既に、デジタル化・AI化推進に疑問が投げかけられて、見直す動きも出ている。この問題に対するUNESCO 報告書を読む意義が強調された。
最後に講師は、AI化が、個々の人間の身体的能力の拡張や、時間・空間の制約を超えて各々の能力を活用しあえるネットワーク環境の外延を目指すことの反面で、内面性(精神性)の希薄化、或いは内面の歪みが進んでいくのかもしれないことを指摘して、これは人間の能力拡張を目指す技術が抱える本質的矛盾であろうか、と疑問形で講演を閉じた。
議論に移って、参加者から、実際にLLMを試す意図で原発やエネルギー問題を含む専門的内容の質問をしてみたところ、要点のよく押さえられた返答を返してきたので、文書作りの第一段階として使えるのではないかとの感触を得たこと、また別の参加者からは、ここまでAIの普及が進んだ今、これを全面的に拒絶するのは難しいので、危険性をよく理解しながら上手に付き合って行く、という柔軟な態度が望ましいのではないか、との意見が述べられた。また医師の仕事の場や物理化学の学問の分野でも、AIの影響が相当出ているが、今後更に自然科学自体が変容させられていくように感じる。病院や在宅での診察情報、学校や塾や家庭での学習記録など、膨大で緻密な個人データをどう管理していくのか、AIの作り出す言葉の「倫理性」への疑問などは依然として払拭されていないこと、大学の基礎教育において、レポートという形の課題を出しても、すぐにAIが回答文を作り上げてしまうことなど、基礎教育が成り立たなくなっていく、との指摘が続いた。
なお当日の講演資料はpdfファイルで参加者に配布した。また後日3名の方からメールで追加の討論を頂いた。
(報告者:西垣 敏)


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